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竹久夢二
たけひさゆめじ岡山県邑久郡本庄村の酒屋に生まれる。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。明治34(1901)年単身上京し、苦学しながら早稲田実業に通う。明治38年、同校卒業。コマ絵や雑誌の表紙挿絵で頭角を現し、明治40年、結婚。読売新聞社に入社し時事スケッチを掲載。藤島武二や鏑木清方の影響を受ける。最初の夫人をモデルにした眼の大きな夢二式美人は、独自の憂愁と情緒をたたえ評判となる。流動的なS字構成によるスタイルも確立する。昭和5年頃からは浪漫情緒の濃い幻想的な作風となる。昭和6年に渡米、ヨーロッパを廻る。同8年病を得て帰国、翌年肺結核により没した。大正13年から昭和3年まで国際情報社から刊行された婦人雑誌「婦人グラフ」の表紙や挿絵に使われた木版画(のちにオフセット印刷)も手掛け、今も人気が高い。東京都文京区の竹久夢二美術館には日本画からスケッチ、装丁本や書簡までおよそ3000点を収蔵。岡山、日光、伊香保にも美術館がある。
![竹久夢二「黒船屋」 (竹久夢二伊香保記念館)](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/takehisa_yumeji.jpg)
動画で解説!竹久夢二
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竹久夢二といえば、“明治・大正ロマン”を象徴する代表的な画家であり、詩人。 美人画を得意とする弊社でも夢二の作品は大変人気があります。 明治17年に岡山県に生まれ、もともと絵の上手い少年でしたが、家の貧窮などもあり、17歳の時に家出し、詩人を志して上京します。 藤島武二に私淑し、雑誌や新聞に投稿した絵がきっかけとなり、数々の挿絵で活躍し、その後彼の美人画は絶大な人気を誇り、瞬く間に流行作家となります。 とろりと黒目がちに潤む瞳、物憂げな、どこか淋しげな表情。 「夢二式美人」といわれる叙情的な女性像は、世の男性、女性、そして多感な乙女たちの心を今も虜にし続けています。 秋華洞では竹久夢二の作品を積極的に買取しています!
竹久夢二の作品例一覧
![竹久夢二「宵待ち草」(部分)](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/5bd9ea12d0a0a3a7102299ffc9b5e3f8.jpg)
![竹久夢二「紅梅や恋は心の」(部分)](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/13839dfcc53e607c00b67a492bac4f33.jpg)
![竹久夢二「雪の風」『婦人グラフ』12月号より](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/99bb5e3646fa856f5765a9ed16df2f70.jpg)
![竹久夢二「灯籠流し」](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/0ffcee57095b65d4695affdfd79daefd.jpg)
![婦人グラフ 第三巻第八号(竹久夢二表紙)](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/1-94-161-01_001.jpg)
![竹久夢二「当り狂言 梅川忠兵衛」](https://www.aojc.co.jp/-/wp-content/uploads/2016/10/1-90-205-03_02.jpg)