銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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2024年のバーゼル

   

バーゼルアートフェア2024に行ってきました。

例年参加していたVOLTA BASELというサテライトフェアは諸処の理由で今回はとりやめました。

なので今年は特に視察する予定もなかったのですが、最近、修行から戻ってきた長女がいるのですが、是非一応総本山と呼ばれていBASEL at BASELに行ってみたいと申しますので、なかば親馬鹿もありましょうが、サテライトといえども参加してしまうと案外、フェアをとりまく全体像が見えないもの。あらためて訪れてみたのです。

それなりの収穫もありました。

VITRA CAMPUS内

まず向かったのがVITRAというアートフィールドです。これはフェアとはまったく関係ないのですが、スイスの家具メーカーであるVITRAがデザインと建築の総本山とも言うべき広大な展示空間をバーゼルの郊外に作ったもので、初めて来て目を見張りました。たぶん東京ドーム数個分はあると思う敷地に、モデルハウス、展示場、美術館、公園、売店などが建ち並び、デザインがもたらす快適な暮らしとはなんだろう、と提案をする広大な空間となっていました。

次に向かったのがバイエラー財団の美術館。

https://www.fondationbeyeler.ch/en/home

ここはバーゼルに来た人が必ず一度はたずねるだろう美術館で、そもそもバーゼルを美術の町に変えたバイエラーさんが作った美術館です。モネ、セザンヌ、ロスコ、リヒター、ジャコメッティ、アルバース、ベーコン、ピカソ。近代西洋美術の肝になるところが全部入ってるところで、それが贅沢に当たり前みたいに並べてあるので、なんだかそんなん当たり前やん、と気が大きくなってしまいそうな空間です。しかしこの規模を日本でやるのは絶対無理。

今はどうも移動展示のコンセプトがあるようで、なぜか見ているウチにみるみる展示が変わっていきます。台車がやってきて、絵を外して、別の絵を持ってきて並べてしまうのです。そして時には、時代の違う二つの絵が、くっついて並べられて、別の文脈を作っていきます。

二つの作品を接して並べるという手法は、ウチで時々やってくれている小津航君の師匠であるOJUNさんもやっていましたね。この二つの現象は関係あるのかないのか、わからないですが、関係ないとしたら面白い話です。

あ、このブログ、長くなりそうなので、あとはしょります。

肝心のアートバーゼル。もう見に行くのは6回目くらい?なので、「変化」と「変化しないもの」を指摘しようと思います。

ベルリンのネーゲルリウムシュナイダーさんのブース。

「変化」は日本からの出展が最近は絞られてきたこと。今年は、東京画廊、タカイシイ、タケ・ニナガワさん。10年前は、もう少し数が多く、顔ぶれも違いましたが、最近はこの三社が定着してきたようです。

なぜか推測。

「日本」の「伝統」と「今」を欧米に紹介するのに、この3社が定点観測的にふさわしい、とオーガナイザーが判断したのではないでしょうか。今は香港にバーゼルがありますので、その他は香港へと。この判断はおおむね正しいかと思います。ただし、今回は若手のギャラリーさん(だと思う)が靉光の版画だったかな、持ってきて展示してました。やはり新しい血を入れよう、という試みはやっているのですね。

アタクシどもも出る日が来るかしら。

でも、ここバーゼルは別に高校野球の「甲子園」というわけでは必ずしもありません。ここに出たら「成功」ということではなくて、自分の画廊にとって必要な舞台かどうか、が大事なのです。だから出たら夢が叶う、みたいな野茂やイチローにとってのメジャーリーグとか、ワールドカップとか、そういう考えはちょっと違うように思います。

なんちゃってね。ま、出たら、嬉しいよね、たぶん。

変わらないこと。

日本、というアイコンが会場のあちこちにあること。

それは、この20年、変わらないというか、どんどん定着してきたのではないでしょうか。海外のギャラリーも含めて、日本のアーティスト、日本的デザイン、日本的哲学、みたいなものを入れるのが当たり前になってきたように思います。草間さんのカボチャはオオタファインアーツさんがいれば必ず目にしますが、そうでなくても、あちこちにあの「かぼちゃ」の片鱗が見えますし、リー・ウーファン、河原温、白髪一雄など、もう世界のアートコレクションでなくてはならないピースになってきました。

なぜか。

たぶんね、ナショナリティなんてアートに関係ないよ、という人もいるでしょう。でも僕はそうは思いません。日本的肉体性、日本的精神、というものは西洋の哲学やアートにとって必要なものとして間違いなくあって、それがあって初めて世界が成り立つ、という性質のものである気がします。

バイエラーのコレクションの西洋近代は、あたかも、神の元からはなれて、人間が独立してその寂しさと苦しみを受け入れるための儀式のように思えるのに対して、日本のそれは、いったん神の下からはなれて形而上のもの、言葉を変えれば頭でっかちで理屈っぽいものになってしまったアートに、肉体性と、東洋の神、すなわち数学性と自然性をもたらしているような気がするのです。

・・・ちょっと、わかりにくい?気取っているかしら。

世界は西洋と東洋、神と悪魔、自然と人工、すべてが対立ではなくて、対になる構造の中で、東洋の代表としての日本、というアイコンは深く世界の文化の中で息づいているような気がするんですね。

それは、フォトバーゼルという小さなサテライトフェアでも感じました。

あとおまけ。このバーゼルという町は、ドイツ・フランス・スイスにまたがるかのように存在しているのですが、スイスもフランスも物価が高い。なかでもスイスは高い。お水は1000円。ラーメン3000円。田舎料理が15000円。ま、日本の4倍、ですかね?そんなのみなさん先刻ご承知でしょうけど。2,3日ならいいけど、1,2週間いたら干上がってしまいます。それが今回フェアに参加しなかった理由のひとつかな。

お願い、戦争と円安、やめて。世界が平和じゃ困る人がいるのはわかるけど。


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