歌川国貞(三代豊国)を
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江戸時代後期の浮世絵師。姓は角田、通称は庄蔵、後に肖蔵という。画号に一雄斎・五渡亭・月波楼・琴雷舎・香蝶楼などがある。幼くして画才を認められ、初代歌川豊国の門人となる。弘化元年(1844)に先師の名跡を次いで三代豊国の号を襲名する。舞台の興奮が伝わってくるような役者絵を描き、「役者絵の国貞」と称せられる。また美人画に於いても時代の好みを反映した粋で艶な猫背猪首型の美人を描き、人気の高さはその圧倒的豊富な作画量に象徴される。春画にも名品が多い。幕末の浮世絵界では最大の勢力を形成し、生涯に描いた作品点数も浮世絵師中で最も多い。
作家紹介
歌川国貞(三代豊国)
随一の作品数を誇る浮世絵師
22歳で浮世絵師として世に花開いた国貞は、79歳でその生涯を閉じるまでに2万5000点以上にのぼる作品を残しました。
その画業は役者絵、美人画、武者絵や春画、風景画、肉筆画まで多岐にわたります。なかでも得意としていたのは、はじめに述べた役者絵・美人画でした。
国貞は幼少より役者絵の模写を好んで描いており、それを師であった歌川豊国がみとめ15歳で弟子にとられたというお墨付きのもの。師・豊国は役者絵・美人画の名手として知られており、国貞はその後継として人気を博したのでした。
江戸後期の浮世絵事情
国貞が活躍した江戸後期は浮世絵が最も栄えた時代でしたが、天保年間(1841-1843)には水野忠邦による天保の改革によって厳しい統制を迫られた世代でもありました。
浮世絵においては役者似顔絵や遊女絵の禁止、錦絵の色数制限(十数色→7-8度刷り)、サイズ制限などが定められましたが、こうした状況のさなかにおいても国貞は第一線で活躍しました。
また、この改革時には少ない版数でも豊富な表現が可能な「藍の濃淡刷り」が化政期ぶりに盛んに行われました。このとき使用された輸入合成顔料であるベロ藍は国貞が好んで用いた画材であり、改革以前の文政年間後期(1825~1830年頃)に描かれた洗練された美人画が有名です。
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