河鍋暁斎を
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絵師。下総国古河(現:茨城県)に生まれる。幼名は周三郎。歌川国芳に師事し、その後駿河台狩野家の前村洞和及び狩野洞白に師事。幕府御用に仕える狩野派としてのアイデンティティを誇りながらも狂画を描き、政治批判をしたとして投獄される。出獄後は暁斎と号した。反骨精神に溢れ、画域の広さと技量には定評がある。本画作品にも国芳から伝授された戯画の精神を盛り込み、美人画といえども単なる浮世絵美人に留まらず、狩野派で培ったやまと絵の伝統技法も駆使して、全く新しい作品を描いている。日本の社会が揺れ動いた幕末・明治期に活躍し、美人画、歴史画、武者絵と幅広いジャンルを描いたが、特に風刺画や戯画は人気を集めた。
作家紹介
河鍋暁斎
”画鬼”暁斎
幼少、赤子の頃より”絵を見ること”を好んだという暁斎。その天賦の才は、江戸の火消同心であった父親が彼の画才見込んで、7歳のとき歌川芳年の門下に入門させたほど。
歌川芳年は当時一世を風靡していた浮世絵師。続けてその2年後には駿河台狩野派に入門し、狩野派のもとで古画を学びます。
暁斎の底なしの探求心は、様々なエピソードでもって色濃く語られています。9歳のとき、川を下ってきた男の生首を持ち帰り写生した。16歳のとき、火事現場で焼け落ちる自分の屋敷には目もくれず、鳥屋が放ち炎に照らされた孔雀に見惚れていた…等々。
そんなおそろしいほど貪欲な探究心をもって画才を磨いた暁斎は、師であった洞和から「画鬼」とよばれて親しまれ、通常11,2年を要する狩野派での修業を9年で終えました。その後も暫くは館林藩のお抱え絵師であった坪山家の養子であったり、蒔絵師菱田八十八のもとでの活動を経ながら、徐々に絵師として独立してゆきました。
暁斎の世界
7歳の暁斎に手ほどきをした歌川国芳は、生粋の諧謔精神をはらんだその画技を、暁斎に直接描いてみせたのだといいます。
芳年のもとで見た卓抜な構想力たる諧謔精神は、暁斎の画業において終生色濃いまま。
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