
フジタは日本と世界の近代美術史上、非常に重要な画家です。日本人として生まれ、フランス人として生涯を終えました。
その生き方や、鑑定や評価のポイントについて、ぜひごゆっくり御覧ください。
藤田嗣治
ふじたつぐはる洋画家。東京の陸軍軍医の家に生まれる。
1905年、中学卒業後ただちにパリへの留学を考えるが、父の友人であった森鴎外のすすめで東京美術学校西洋画科へ入学。黒田清輝らに師事し、卒業後は和田英作の助手として帝劇などの背景を描く。1910年の第十三回白馬会に初入選、1913年には渡仏。パリではピカソ、モディリアーニらと交流し立体派の研究もするが、日本の面相筆で肥痩のない輪郭を描いた上で淡彩を施す様式を作り上げる。それらの作品を出品したサロン・ドートンヌで注目を浴び、一躍パリの寵児となる。
1929年に帰国して個展を開き話題を呼び、北米、フランス、南米などを歴訪した後、1933年に再度帰国。翌年、二科会会員となる。従軍画家として戦争画も描く。戦後は再度フランスに渡り、フランス国籍を取得、レオナールの名で洗礼を受ける。


絵画骨董買取プロ・秋華洞社長の田中です。弊社は親子三代80年の買取実績があります。まずはお気軽に電話下さい。(メール、LINE、お手紙でも勿論OK)
大事な美術品のお取引には一生お付き合いのできる信頼できる画廊をお選び下さい。
もし藤田嗣治の作品をお持ちでしたら、ぜひ絵画骨董買取プロby秋華洞にご相談下さい。
お客様の心に寄り添い、最後までお世話させていただきます。
秋華洞[絵画骨董買取プロ]はいつだって貴方の味方です。
藤田嗣治は海外でも存在感のある作家です。私ども秋華洞では毎年アジア・ヨーロッパのアートフェアに出展しており、しばしばフジタを展示していますが、毎回多くのお客様に注目されています。海外オークションでも高額で落札されており、国際的な人気の高さがうかがえます。
藤田嗣治は、猫と少女を描いた作品を得意としています。
自画像、風景などモチーフは幅広く、年代や転々と変えた制作場所で作風の変化が見られるのが魅力であり、奥深さでもありますが、やはり評価は人気のあるモチーフである少女・女性・猫の作品が高いと言えます。
また、戦後日本を離れフランスへ戻ってからの1950年代の作品が特に評価が高い良いと言われています。
ペン画・水彩の場合は100万から2000万程度、油彩の場合は1千万円から1億円くらいまでの評価を与えることができるでしょう。
デッサンや小品なども君代夫人の手放した「君代コレクション」を中心によくございますが、こちらも数十万から数百万の評価があります。
弊社の季刊美術カタログにもほぼ毎回登場しますので、よければ参考にご覧ください。
下記写真はペン画・水彩などの例です。



本画の他にもデッサン、リトグラフ、挿絵など非常に多くの作品が流通しています。こちらも数万円から百万を越す作品まで、価格帯も幅広いものがあります。
フジタの場合、日本では東美鑑定評価機構鑑定委員会が鑑定を行っています。
世界的な人気と知名度が高いゆえに、贋作が多く出回っているのも事実です。非常によくできた贋作もあり、鑑定には慎重を要します。
すなわち、評価の高い作家ほど「質の高い贋作」が出てきます。サインも絵も見分けがつかないくらい精巧な贋作をこれまでに何点も見てきました。このような事情からも作品買取の際、鑑定書取得は重要となります。
弊社では鑑定書取得までのお手伝いをいたします。鑑定取得でお悩みの方はぜひご相談ください。



秋華洞では、藤田嗣治作品の買取だけでなく、法人における評価書や個人での相続査定評価書の作成も行っています。
評価書は相続時の税金計算や美術館や法人への寄付、時価棚卸し査定などにご利用いただけます。もちろん、フジタ以外の作品も受け付けます。
査定書の体裁やそもそもの必要性など、戸惑われる場合も、ご相談は無料ですので、遠慮なくお気軽にご相談ください。
藤田は子供の時からフランスでの画業にあこがれましたが、大戦時は祖国を守る日本人としての意識も強く、戦争画なども積極的に取り組みました。
フジタは絶望し、フランスに帰化したあと、日本を訪れることはありませんでした。
結局、現在は「日本の画家」というよりはモジリアニやピカソなどの「エコール・ド・パリ」の作家として数えられ、高い評価を得てます。
フランスでの洗礼後は、ランスの「フジタ礼拝堂」の内装を行うなど、宗教絵画を中心に制作しました。
《ジュイ布のある裸婦》(1922年)、《カフェ》(1949年)、《アッツ島玉砕(1943年)》などがありますね。
絵画骨董買取プロには美術業界で経験を積んだスタッフが揃っています。どんなことでもお気軽にご相談下さい。

私どもでお売りになるお客様は、「どこよりも高く買う」とか、「すばらしいサービス」に惹かれておいでになっているわけではないように思います。
私達は、祖父の代からもう、そろそろ百年は続く美術商の血を誇りとしています。
でも、それは、長く続いているから偉い、という意味ではありません。
美術品を一度買わせてもらったら、さようなら、という関係ではない、と考えているのです。
美術品を売るときも、買うときも、それきりでなくて、一生のお付き合いを考えています。さらには、世代を超えて、代々お付き合いできる関係を目指しております。
スタッフにも「ともかくたくさん買えば良い」ではなくて、「お客様にどうしたら、最も、お役に立てるのか、考えて動きなさい」と伝えています。
スタッフにとっても、一生勤めて、美術品の取り扱いだけでなく、人間として成長し、素晴らしい作品を扱うのにふさわしい人間性を育むことを第一に考えています。
買取もサービス面、価格面で一番になれるようにしていますが、それよりも、販売で銀座、台北、香港、欧米などでの多くのお客様、美術館様と長く丁寧に仕事をさせていただいていることが、全体として意味のある世界を作っているようにも思います。
お客様が美術品を売るときは、知らない赤の他人が、家にやってきて、あれはいくら、これはいくらと値段をつけていく場面があるかもしれませんね。
そんなとき、美術品が高価にせよ、そうでないにせよ、お品物や、お客様を大事にしない人が上がりこんできたらどうでしょう。
それは、値段の高い低いの問題ではないように思います。
「本当にお客様の心に寄り添う」
「一生のお付き合いをする」
そういう美術商として、みなさんとお付き合いできれば、と考えております。
査定依頼をいただければ、鑑定に出したほうが良いかアドバイスすることができます。