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徐渭

じょい
1521(明・正徳16) - 1593(明・万暦21)
徐渭
明代末期の書画家。諱は渭。字をはじめ文清、のちに文長と改めた。天地・青藤・田水月・天池漱生・天池山人・海柳仏・山陰布衣など多くの雅号を持つ。浙江省山陰の人。14歳の時に義母が没し精神的な支柱を失い、さらに19歳の若妻が亡くなるという不幸が重なる。科挙に受からず役人になることはできなかったため、やむなく家塾を営んだが生活は貧窮した。友人を頼って各地を転々とするうち、紹興に侵入した倭寇の討伐軍に友人らと参加。戦果を挙げたことで胡宗憲から秘書として迎えられる。胡宗憲は徐渭の文才を見抜き様々な文章の代筆を依頼したが、のち胡宗憲が不正事件に連座し失脚。有力な後ろ盾を失い生活は再び困窮して、次第に精神が不安定になっていく。一旦は北京に職を見つけるがすぐに辞め紹興に戻った。45歳になると狂気から妻を殺害。7年の獄中生活を送る。釈放後、杭州、南京など中国各地を遊歴。73歳で亡くなった。

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