銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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原宿でカプーア。水面下の現実の露出。

   

うちの近所の原宿GYREギャラリーでカプーア展見る。 

午後muni の候補に残った画家達がSCENAに遊びに来てくれていたので、ずいぶん長く話し込んでいて、店を閉めて外に出たらカプーアをやっているので見ないかという。僕は知らなかったがツイッタXで炎上して話題になっているのだそうだ。 

カプーアって韓国Kukjeで絵の具の塊を絵でございと展示居ていたカプーアかなと思ったら果たしてそうで、今風の装いのビルの四階にいくと果たしてあの絵の具の塊がグデーンと置いてある。 これはもう血の塊、肉体の塊としか言い様がなく、こないだの「立体だけど絵です。」というコンセプトとはちょっと違うかも、と思うが一方でいわゆる抽象画も沢山並べてあって、たぶんこちらはもう少しわかりやすい「絵」だけれども、全体としてともかく不穏である。 

「FALL OUT」という核戦争後の終末世界を描いた没入型ゲームがあるのだけれども、あの中ではミュータントという鬼みたいな連中が人間を捉えては肉の塊にしてそこいらにぶら下げてあり、あの肉塊にそっくりな表現にカプーアはもしかしたらパクったのかな?と思いつつ見る。 

「血の塊」に見えるのはこれも「絵画」というコンセプトかなと思いきや壁に貼ってある文言を見るとどうもやっぱり肉塊らしく、もう展覧会全体が殺人現場のようである。 それにしてもコンセプトとおぼしき文章が「監視社会とそれへの反抗」というテーマで貫かれており、展示からここまでのコンセプトを読み取るのは難しいなと思いつつ、思えば新型コロナ以降から来年のパンデミック条約、カナダのトルドーやアメリカのキッシンジャーやバイデン、ゲイツの中国礼賛の世界の監視主義・全体主義の流れをカプーアが見逃してないという意味とも読み取ることができるし、これは表現としては韓国で見た「立体絵画」を現代社会の恐ろしいカリカチュアに転じたものと見ることができる。そうするとこの「遺体」「臓物」の数々は例の薬でできた血栓やうち捨てられた死の象徴と捉えれば合点がいく。 

受付でこの展示は販売しているのか聞いたところ絵は売っているが「オブジェ(「血」の塊)」は売るかどうか決まっていないという。 

画家達と行ったのであの「血の塊」はカドミウムレッドの匂いがするのだそうで、さすが絵描きである。 

さて、電車に乗って調べてみると「X」ではなるほど炎上している。こないだウチの展覧会にも遊びに来てくれたYoutuber「美術を解説するぞう」さんがこの展覧会のキャプションがひどい、全く展示内容と関係がない、とこき下ろしており、その酷評への反発とその反論、野次馬と熱を帯びている。 

なかなか展示を巡って罵り合い批判合戦も珍しいので戦前の美術シーンのようで好ましい。所詮アートの批評など人が死ぬわけでもなし、ケンカするならとことんすればよろしい。 

で、このおかげで展覧会への興味は倍増し、入場者は多いという。なのでこれは「仕込み」の「案件」ではないかという見方さえXにあがっていた。 

美術の鑑賞者はしかしこの展示のキュレーターの飯田高誉さんが書いたやや高尚な「監視社会」への警告についてはあまり誰も触れていないようだったが、たぶん彼とカプーアが現代社会で感じるところを表参道のメジャーな場所でぎりぎりまで言ったのではなかろうかと僕は感じた。真意は分からない。 

この凄惨な現場を感じさせる展示が「予告」と受け取った人も居たようだが、自分はこれが「今」だと思う。伴侶を喪った「被害者遺族の会」は数十人だが、水面下には数千人、数万人の「遺族」がいる。世界でいえば数千万人になるではあるまいか。水面下の「死」を可視化した展示だと考えればなんと恐ろしいことだろう。 無論、僕の「思い過ごし」と見る向きも多かろう。だが「天井のない監獄」を予告した識者の数々の思索を無視するとすれば、それはあまりに愚かなことではあるまいか。

下記は展示キャプションから。

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まさに天井の無い「監獄の誕生」が目に見えない形で出現し、今日の社会で私たちが制と監視の対象になっていることに気づかされるのです。本展覧会のテーマは、監視下にある人々が芸術表現をどのように解釈し、各人自ら内在している心の有り様をアニッシュ・カプーアの作品を通じていかに映し出せるのかを問い掛けていきます。経済効果という功利主義の御旗の下に、「最大多数の最大の幸福」を目指して、英国の哲学者ジェレミー・ベンサムは刑務所、パノプティコン(一望監視)を設計しました。その後、ミシェル・フーコーは、パノブティックなアプローチが普及するにつれて出現する監視社会の結果として、現代社会における「監獄の誕生」を予見しました。そして、このような視点が、「アニッシュ・カプーアー奪われた自由への眼差し監視社会の未来」と題された展覧会にインスピレーションを与えました。

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