銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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コロナ時代に『ドメスティック・エイリアンズ』は何をもたらすか。高木陽について

   

さて、高木陽である。昨夜は高木、柿沼と少しだけ飲んだ。ふたりともますます面白い奴らだと思う。

高木陽は高校のときに芸大を一度受けて失敗し、色々あって自衛隊に入る。陸上自衛隊だ。入った理由は聞いたが、ちょっと忘れてしまった。たしか自分の中にある澱のようなものを落としたかった、そんな理由ではなかったかと思う。そういう青春もあるのだ。

ともあれ、自衛隊には2年居たという。初年兵だから、そうとうに訓練は厳しいだろうと問うた。確かに厳しかったという。だが、ほとんど極限状態まで追い込まれる経験をしたからこそできるつながりがあったという。

 例えば、敵が攻めてくるという想定での訓練。その場に自分が隠れる穴をほり、体を沈め、銃を構え、敵が去り、ふたたび穴を埋め戻す。何者もそこにいなかったように埋め戻す。あるいは突如今日から200キロ歩く訓練をすると告げられる。そういう毎日である。僕はこの業界で自衛官出身だという人物に話を聞いたことがある。まったく同じような経験をはなしてくれたことがある。彼にとっても宝物のような日々であったという。厳しい訓練は、それ以上の何かを若者にもたらすらしい。

高木陽は、厳しい訓練の後、ポロッと漏らしたという。「どうせ、僕は何年かしたら抜けてしまう、中途半端な人間だから」と。だが居合わせた上官は言った「いいんだ。僕たちは、入隊したものがここで何かを掴んで、世の中をよくなる人として、社会に返せればいい。」現場の人間が、この言葉をすっと言える組織は強い。

高木は入隊前に言われたという。「自衛隊は、なんにも生産しないところだぜ。」でも除隊して思ったという。「自衛隊は、たしかになんにも作らない。でも人を作る。」

彼はいつもニコニコしていて、自分なんか対して役たたなくてすみません、という。画風は不穏なケダモノたちが鬱屈してあちらこちらを凝視するものや、黒で表現された近代社会の象徴に、血のような赤色が滲んで不吉な未来を予告する。何か悪意を含んでいるような絵だが、彼の人格に悪意というものは感じられない。ごく常識的で穏やかで妻子もあり、毎日廃品処理工場で働く彼は、謹刻たくましくて社会性がある。そのベースの一つには、自衛隊の経験があったようだ。

だが絵を描く意思は一貫しており、ずっと続けてきた。二科展への加入も、プロへの足がかりになると考えてのことだ。そこでも勇気づけられる様々な出会いがあったらしい。

話を聞いていて、隣りに座っていた柿沼宏樹がつぶやいた「まるでフォレスト・ガンプみたいだな。」フォレスト・ガンプという映画では、トム・ハンクス演じる障害を抱える青年が、思わぬ出会いの連続で東南アジアでのエビ漁で大金持ちになったり、宇宙飛行士になったり(アポロ13のほうかな、ちょっと忘れた)、まあとにかく大冒険を成し遂げる話である。日本人は終身雇用でなんにもしないのがいい、という社会だが、フォレスト・ガンプみたいな奴がたくさんいたほうがいいと私は思う。

コロナ時代で、世界中が混沌とし、なかでもアメリカはコロナウイルスで10万人以上の人が亡くなり、野党や外国の思惑も色濃く絡んだ無政府状態まで発生している。まるで高木陽の世界をアメリカが後追いしているかのようである。高木の作品は、アメリカの象徴的建物をベースに、不吉な予告をするようなものがいくつかあるが、それらの作品は現実社会の有様を見ていると、むしろ心優しい警告をしているようにも思える。

ところで、高木陽の絵にはベースになる写真があって、それを模写したり、写真そのものを引き伸ばしたりして、自分の絵に変えていく。美術学校に言った人間からしたらとんでもないご法度のような作品だ。だが高木の作品世界を作品足らしめているのは明らかに高木の着想だ。あの忌まわしいが惹きつけられる発想はいったい何なのか。現代のフォレストガンプの絵は、僕たちの社会に何をもたらすのか。彼の人生をまた変えていくのは、この展覧会で彼に出会う、あなたかもしれない。

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