銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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上村松園が美人画ジャンルの王者である理由

   

明日から山種美術館で上村松園展をやると聞く。靖国神社の近くから今の広尾に移動してからも、同じテーマで展覧会があったような記憶もあるが、間違っているだろうか。

上村松園は「美人画」ジャンルでもっとも人を呼べるコンテンツであるし、これからもそうであろう。

評価もおそらく鏑木清方を凌いでトップである。日本画家の存在感としては、速水御舟、菱田春草、横山大観などに匹敵する。

美人画、というのは秋華洞の看板ブランドにもなっているジャンルである。春信・歌麿>国芳>芳年>年方>清方>深水という江戸から昭和にかけて、ある種のプログラム・ピクチャー的、すなわち大衆受けのする大きな流れの「派生」として、島成園、甲斐庄楠音、竹久夢二などの新感覚の美人画が生まれた。(池永はじめ、今の若い人たちの「美人画」の取り組みもあるが、それは現代のことなので、今日の文章ではおいておく。)

美人画は、華やかなジャンルだが、しかし、どこか蔑まれている流れでもある。「美人」を描く行為は、あくまで大衆的・風俗的であって、崇高たる美術展のなかでは亜流扱い、という面が色濃くある。市場価格にもそれは反映している。

松園は、ふたつの意味で、垣根を乗り越えようとして、乗り越えた画家だ。第一に、美人画が、たんに風俗画ではなく、美術展で末席ではなく第一室に置かれる価値を世間に認めさせた。もうひとつは、男性社会である絵描きの世界に、女でもトップになれる、という境地を示した。

彼女はシングルマザーでもあり、その風当たりは現代の我々には想像もできない強さであったろう。しかし、その2つの壁を、彼女は筆一本で破った。

たまたま弊社のカタログの次号に、上村松園の軸装の手紙とはがき類を掲載する。挨拶程度の内容である。スタッフと少し話した。あんまり、自分の気持ちを言わない人だったかもなと。おそらく、世間に、女として、美人画絵かきとして、認められようと、強い意志の力で張り詰めていた人だと思う。もしかしたら、気難しくて、付き合いにくい人だったかもしれない。

今、絵かきは実は、女性の方が多い。女性である存在を認めさせようとした松園の努力も今は昔、いまや女性の時代だ。だがこの時代を切り開いた松園の魂は、生きている。彼女の描く線は、今見てもやはり何か厳しいそして清々しい。

女性の画家として雲の上を目指し、雲の上からの風景を初めて見た女性である。彼女と同じ風景を見たものはいない。

そこには孤独もあろう、満足もあろう。

蛇足で言っておくと、彼女は字も素晴らしい。箱書きは一般の人が見る機会が少ないが、一度見ておいてほしい。箱書きとは軸を入れた桐箱のオモテウラに画題と署名を書いたものだ。箱書きの美しさは、そうですね、川合玉堂、竹内栖鳳、上村松園が三巨匠ですね。そのなかでも松園が一番美しい。絵描きさんは見ておくように。秋華洞で見れるよ。(あ、もちろんお客様も)

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