画廊の夜会と、岡本東子の描く物語
画廊の夜会が終わりました。今回もかなりたくさんの方にご来店いただきました。世の中ナフサ不足とか色々ありますが、美術への興味は尽きないのだな、と思います。
今回展示の岡本東子の絵ももう何年やっているのだろう、多分十年以上はやっています。転んでも折れない、立ち上がる自立したイメージを一貫して絵画として紡ぎ続けた彼女の絵画世界も、少しずつ変わってきました。
ちょっとどんよりとした気分を吐き出すような絵柄にはいつもモヤっとした気分が重なります。絵で女性の強さを表してきたような気がしますが、そこにある種の物語性を帯びてきて、日本古来の何か魂のようなものが世界に重なってきました。
和服を日本画で描くひとは沢山いますが、質感で着物を描く彼女は独特で、実はあまり見たことがありません。あれを描こうとする情熱、それをどう絵画という完成度に導くかというときに、彼女は日本のいろんな場所に赴き、あるいは物語世界を探してきました。
それは彼女のポートフォリオを見るとわかると思います。
そう言えば、モヤっと恐怖を感じる絵といえば松井冬子がいます。なんとなく似ているところがあるのは、同学年の同級生でロケも一緒にした経験もあり……といっても、なんらお互い影響があるわけでもないでしょうが、世代的な一致点があるのかもしれません。
それは、何かこの世のものならぬ何かを描きたい、ということなのかもしれません。
今回岡本が選んだ物語は、玉藻前の物語と、滝夜叉姫の物語でした。
表題の絵に選ばれているのは玉藻前。保元平治の乱を起こすきっかけを作った美しい魔物で、実は九尾の狐。人間にバレて追われると今度は石になって、近づいたものを殺すと言われた女の話。

滝夜叉姫は平将門の娘。政敵を髑髏や蜘蛛の力で蹴散らすという物語です。
二人とも戦い、そして死んでいく恐怖と悲劇の物語で、能や歌舞伎で演じられるうちに本当の話のようになっていったものです。たぶんフィクションなのですが、うちで扱う国芳や芳年の版画にもしょっちゅう出てきます。

なぜ日本人は復讐劇が好きなのでしょう?
多分、無念の物語を無数に見ていて、それを晴らしてあげたい。でも晴らせばまたそこには穴二つ、滅びがある、という普遍の絶望とロマンを見たいのでしょう。

たまに歌舞伎に行くとその残酷さに驚くことがありますが、現実に見ている何者かとの共通点を見て、人は少し癒されるのかもしれません。


悲劇というものは悲しいし、恐怖は決して快感ではない。でも物語で何度でも見てしまう。そこに何かがあるのかもしれません。
それが絵画だとどうでしょうか。あまり好みではない人も多いでしょうね。それでも、そこに普遍性を見たときに、人は感動するのかもしれません。
