銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

*



日本人と春画の世界

      2016/07/08

 「春画」ってご存知でしょうか。男女のまぐわいを、局部を誇張して描く、江戸時代の芸術です。その「春画」の大規模な展覧会が2013年の暮に大英博物館で開かれたことはわたしが家族を連れて見に行ったレポートを以前に書きました。

大英博物館の「春画展」”Shunga sex and pleasure in Japanese art”

http://www.britishmuseum.org/whats_on/past_exhibitions/2013/shunga.aspx

本ブログ 大英春画展レポートその1からその4

https://www.aojc.co.jp/blog/2013/12/shunga-bm1.html

https://www.aojc.co.jp/blog/2014/01/post-267.html

https://www.aojc.co.jp/blog/2014/02/post-268.html

https://www.aojc.co.jp/blog/2014/02/london-shunga.html

大変に評判のよい展覧会で、イギリスのメディアでは好意的に多数取り上げられました。

さて、その凱旋展を日本でもやろうと関係者が努力したにもかかわらず、手をあげる美術館がひとつもなく、開催にこぎつけることに非常に苦労されたのはみなさんご存知の通りです。

結局、細川護熙元首相が館長をつとめる「永青文庫」で企画が実現しました。

http://www.eiseibunko.com/shunga/

img02.jpg(写真は永青文庫のHPより。西川祐信の肉筆画)

 さて、春画の展覧会がここまで日本で企画が困難なのでしょうか。そこを考えてみたい。

 この問題で一番残念だな、と思うのは二つ。

(1) みなさん、食わず嫌いであること。

(2) 事なかれ主義であること。

食わず嫌い。「春画」の「価値」をご存じない方が、いるのは仕方ありませんが、まったく勉強もしないまま、この春画展を妨害する方が、この日本には相当な数いるらしいです。「知らない」のは無理もない。ただ、知らないまま、企画を通さない方がいるといたら、非常に残念です。

浮世絵の高名な作家、春信、歌麿、栄之、北斎、国芳など、ほぼすべての浮世絵師が「春画」を手掛けていることに、近世美術を勉強しているものなら、だれもが気が付きます。実は、「春画」作品を抜きにすると、その作家の作品世界が成り立たなくなるほどです。そしてその作品世界は、見ていけば見ていくほど、当時の暮らしぶりや、階級、衣装など今に克明に伝えます。しかも、春画のなかで優れたものは、特別注文の、贅をつくした彫りと擦りで鮮やかに木版多色刷りの技術の極限を表現したものになっています。

私どもでも、もちろん扱っています。売り物の在庫などで、とても「最高峰」とはいえませんが、今でも流通しているのです。

http://www.japanese-finearts.com/item/search.php?sritem=42

日本の春画が世界のどこでもあるだろう「ポルノ」の中での優れた特徴は、「笑い」と「幸せ」があることです。

春画を見てると、なんともユーモラスで面白いものがたくさんあります。このリンク先にある春画の数々をご覧ください。

http://www.nippon.com/ja/views/b02304/

なかでも僕が好きなのが河鍋暁斎のとぼけた肉筆春画。まぐわう男女の脇で猫がちょっかいをかけています。オトコとオンナの事がはたから見ているとなんだかみっともなくて可笑しい。人間の日常というものの滑稽さが愛情をもって描かれているのが楽しい。この絵の前で、イギリスの老婦人が声を立てて笑っているのを目撃しましたが、ぼくも同じ絵の前で声を立てて笑ってしまいました。ロンドンで、昔からの親戚に出会ったような気分。

ポルノというと欧米のものはどこかドギツイ印象がありますが、春画のそれにはセックスの喜びが表現されています。幸せを感じさせる表情。

 春画の最高のものは、歌麿、北斎など多数ありますが、高名なものは1000万を優に超える価格で取引されています。どれほど世界のコレクターが珍重し、世界中のキュレーターが研究しているかが数字を見てもうかがえるのです。

この春画の深奥を見ずして、ともかくも嫌う方が多いのは事実です。だから、ダメなものはダメ、となって展覧会ができない。今、ちょうど「ここ(美術館)は誰のもの?」というタイトルで開かれている展示について会田誠さんの作品が撤去を求められた「事件」

http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/whoseplaceisithis.html

http://m-aida.tumblr.com/

http://www.webdice.jp/dice/detail/4808/

が記憶に新しいところですが、公共性を考えるときに、「だれか人が嫌がることはとにかくダメ」と深く考えずに否定する方がいるとしたら残念なことです。

「事なかれ」というのは、日本社会を覆う大きなテーマでしょう。「何か不慮の事故があったら責任が取れない」「誰からもクレームがつかないのがいい」

減点主義がおおう日本社会では、何か突出したことを行うとバッシングされるのではないか、と目立つことを嫌う傾向があります。しかし、芸術がなすべきことは、社会に対してこんな見方もありますよ、こんな不思議なものがありますよ、と、一部の人には眉を顰められても提示することがひとつの役割です。打たれることを覚悟せずにどうして新しい意味のある仕事ができるでしょう。

多くの美術館が開催を断念したのには、それぞれによんどころのない事情があるとは思います。関係者のご苦労にも並々ならぬものがあったことは想像するべきです。しかしながら、波風を立てないほうがいい、というだけの理由で細川さんの美術館以外の場所が真剣に検討することを避けていることがもしあるとしたら、とても残念なことです。

一方、まるでガラリと話の方向が変わるのですが、「春画」にこれだけ偏見と忌避があふれているということに、これだけ解放されすぎて歯止めが効かなく見える日本社会のなかで、なぜか「春画」が恥ずかしいもの、として「恥ずかしさ」が生き延びている、ということも同時に言えることです。このことは必ずしも批判だけするべきではないかもしれません。欧米では、異国の過去の歴史の断面を見る、という『考古学的』に春画を見られるのかもしれませんが、日本の家庭では、「おじいちゃんが内緒で箪笥の奥にしまっていたイヤラシイもの」という生々しい女性陣の忌避の感覚が生きているのでしょう。実際、うちには「なんかよくわからないけどケガラワシイものを見つけたから引き取ってくれ」という雰囲気で春画絵巻や版画を持っておいでになる方が毎日のようにいらっしゃいます。

実のところ、うちの母も父も春画を扱うのに反対でした。亡くなった父は、私が春画を商品として研究して、商売するのを「女性社員がかわいそうだ」として反対していましたし、母など、いまだに事あるごとに「恥ずかしいからやめなさい」と言います。まさに食わず嫌いの実例が目の前にあるのですが、父は仕方なく黙認してもらっていましたし、母は説得しても無駄だと決め込んでとぼけているのが実情です。

春画は、大河ドラマの「江」でも出てきたように、武家や商家の嫁入り道具として必須のものだったようですが、今はなぜか恥ずかしいポルノ(男性用の慰みもの)と位置付けているオトナが多いのかもしれません。明治以降、日本は遊郭を整理して「西洋近代」の仲間入りを果たそうとしたわけですが、春画、または枕絵への拒否反応はそのころに誰かが仕掛けて、昭和生まれの人の脳髄にしみこんでしまったのでしょう。

ただ、性に関して「恥ずかしい」という気持ちを持ち続けておくことは、当の性の営みにとって大事な要素です。美しいもの、真に楽しいもの、喜びの絶頂のもの、それは人に見られたくない、個人の心の奥深くに隠しておきたい。パーソナリティの深奥に隠しておきたい。そういう願いをまったく無視することは逆に人間性の否定にもなります。春画の多くが「笑い」の要素を含んでいるのは、どこか照れくさい性交渉の世界を「笑い」の衣にくるんで、共有する工夫ともいえるでしょう。「性」の情報は隠しておきたいが、やはり共有して、人類の喜びの発展につなげたい。江戸時代、幕府はけして春画を野放しにしていたわけでなく、取り締まりの対象にしていましたが、同時に武家の注文画と思しき春画絵巻も数多く、おそらく将軍家も藩主たちも一枚岩でなく、本音と建て前を使い分けていたことでしょう。性の喜びを担保するために、官民が「隠す」ことと「共有」することを阿吽の呼吸で守り続けていた、ともいえるかもしれません。ですので、日本で春画展を開催することが難しかったことは、今も生々しく「恥ずかしい」感情が日本列島に息づいていることで、悪い面ばかりとも言えないかもしれません。

ネットを見れば、究極にあけすけにエロチックな画像も動画も溢れかえっていますが、あまりに解放された性の情報のために、当の男女の営みには隠された喜びも減っているかもしれません。にっかつロマンポルノの時代には、並み居る実力監督が、セックスや女性に対する様々なあこがれをまさに「ロマン」をもって描きこんでいました。

たとえば相米信二という偉大な映画監督が撮った「ラブホテル」という映画は、寺田農演じる主人公は、自殺の巻き添えにしようとした速水典子演じるホテトル嬢の肉体の喜びに圧倒されて自殺を思いとどまり、タクシー運転手として生き延びる決意をします。この映画には、「女の性」というものが人間の生きる力にどれだけつながるのか、ということをあこがれを込めて描かれていますが、なにもかもアケスケになりパターン化した現在のポルノ、AVにはすでにその力が失われています。

美術館で春画を見せることができない、ということが何を意味するのか。そのことが絶対の悪とは言いません。しかし性の喜びをたたえ、共有する江戸時代の非常に高等な文化の結実を、われわれ浮世絵の専門家や、一部のコレクターだけが知るだけではいささか勿体ない。本当に優れたものがあるのです。日本人の「性」に対する知恵と工夫の「歴史」を今に伝える春画を、偏見を少し横にどけてみていただきたい。そう願っています。

この世界の最高峰を見るのに、これまではイギリスに行かないとみられなかったのが、目白駅、学習院の近くの永青文庫で見られるのです。宣伝しときますと、銀座では私ども秋華洞でも見られますが、まずはともあれ永青文庫へどうぞ。

 - 世間の出来事