銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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カタログ31号、ある母の記、草間彌生、橋下徹

      2016/07/09

カタログの最新号が出た。31号である。何を隠そう、今年最初のエディションである。
遅ればせで申し訳ないです。本当に昨年来いろいろあるなかで、やっと発行にこぎ着けたものです。
まだ、発送はほんの一部なのですが、表紙の玉堂は既にご注文いただいてしまいました。有り難う御座いました!
今回は文人の筆跡類(福沢諭吉など)も多く、応挙の珍しいもの(これも売約済み)など、なかなか楽しい品揃えですので、普段目にしていない方はご請求下さいませ。(o_ _)o
ところで、本日は久しぶりに、家族で映画に行きました。
井上靖原作の「わが母の記」
ネットで口コミを見ると以上に評価が高いので、急遽無理矢理家族を連れて鑑賞。
マリオンの上の丸の内ピカデリーの劇場のドアが開くと、前の上映の客がむわっと出て来る。
この「むわっ」とした感じはもしかしたら感動して涙が乾かぬ集団の醸す空気かなー、そうだといいなあと思って映画に臨む。
・・・結果。よかった。現代っ子のウチの子ども達も鼻をすする音が聞こえてきたので、たぶん感動したのでしょう。
この映画、ほめるところはたくさんあるけれど、最近はネットで無数の映画評が載るので、ぼくの視点から3つだけ。
 ひとつめ。母親は、戦争で台湾に移住する必要があり、その事が原因で、息子と一生消すのが難しい溝が出来てしまう。老いた母親の「時間」は周囲が思う以上に、その引き裂かれたおおいなる物語を、「いま」生きており、現在を生きる息子の世代とずっとすれ違ってしまう。戦争とニッポンという歴史が個人に与えた影響、あるいは傷を、惚けた母親が海岸を歩くとき、ふと観客は感じさせることになるのだが、当の母親も映画も、そこは決して声高に語らない。むしろ息子を巡る育ての親(彼女の祖父の愛人でもある)との確執がずっと彼女の心を占めている。演ずる樹木希林言うところの「意地悪な母親」ぶりは、このエピソードをはじめとして、遺憾なく発揮される。ところで、当の息子の方は、大作家・井上にもかかわらず、母親のそうした「大きな物語」とは別の物語を生きていて、母親とはずっとすれ違ってしまう。それこそ50年以上も、この親子は理解し合うことができない。
 自分の人生と親の人生の「物語」のすれ違い、あるいは自分の子ども達とのすれ違い、永久にたぶんわかり合えない部分と、時代を超えて通じる部分が、自分自身の人生とも重ね合わせられて、どうにも感動せずには居られない。
 
 もうひとつは役者。役所広司、樹木希林、宮崎あおい、他にも、みなもうステレオタイプとはいわないが、申し分なく手堅い演技をする人たちで、手堅すぎて詰まらないと思ってしまう位なのだが、そう思っても、やはりうまくて、あの樹木希林のボケ振りも最近は見慣れてしまっているのだけど、それでも彼女に魂を直接ぶつけられている思いがして、唸ってしまう。役所広司は頑固親父を演じるにはいかにも、物わかりがヨサソウで、ミスキャストでさえあると思うけれど、勘所がきちんとしているので、納得させられてしまう。
 
 最後に、川奈。この映画に出て来る川奈はゴルフ好きなら皆知っている、超高級なあこがれのコース&ホテルである。ブルジョワ臭がよい意味でプンプンして、「細雪」よろしく、三姉妹がこのホテルでじゃれ合う光景は、なんとも、良い。川奈に憧れるゴルファーと、当の川奈コースにとって、あらたな「伝説」の出現ともいえる映像であった。
 
 
 さて、この映画を見る待ち時間などに読んだのが「美術手帖」の「草間彌生特集」であった。同行した妻の指摘だが、草間と樹木希林は顔が似ている。もし草間の劇映画を作ったら、樹木希林にやらせたら面白かろう。この特集で一番面白いのはなんと言っても草間のインタビューである。「世界的な名声」が云々というハナシで占められているこの特集のなかで、草間だけは、ひとり、天真爛漫である。少女時代から過激であった、というよりも、「過激」にしか、生きようのなかった彼女が、晩年の今、ようやく自分スペースを世に得て、幸せな作画生活を続けている様を、読者はつい愛情を持って眺めてしまう。いつか韓国の現代画廊の地下で見た草間のビデオが面白かった。「あんたたち、私が死んだら、この作品、高く売れるな、とか思ってるんでしょう?」「先生、そんなこと、思っていませんよ(笑)」なんていうやりとり。この率直さと一種のボケぶりは、樹木希林の舌鋒とユーモアにも近い気がして、やはり草間は樹木希林で決まりかな、と思ったりする。今日は実はなぜか岡本太郎記念館にも行ったのだけれど、おおいなる聡明さはおおいなるボケに通じているのだ、と思う。
 どうしても凡人である自分は「自意識」やら「プライド」に捕らわれて、草間のような強いパッションや聡明さ、からはなれて小賢しくなりがちである。でも誰もが無心に、目の前の事に一心に遊ぶ、なりふりかまわず、という事の大事さは識っているべきだろう。そのことへの「敬意」が、イギリスや世界での草間への「リスペクト」につながっているのだろう、と思う。
 
 話題変わって、最新号のSapioでは、「橋下徹」大特集である。何と時宜を得た特集で、小学館拍手である。彼の人間像への期待と留保をよーく様々な角度から取材している。なかでも小林よしのりと佐藤優の分析が興味深い。小林は「人気取りとしてのウヨク」と断じ、佐藤は、橋下をファシズムという類型で捉えるのは大きな間違いで、「マッカーシズム」との対比でとらえるべきだとする。いずれの指摘も、要するに理念が一貫していない、という事と、橋下の政策は「小泉の新自由主義」の焼き直しに過ぎない、という分析で一致しているように思う。
 だが、一定の留保がつくものの、私も彼には期待しているのである。ただ、「決められる」政治を目指す、というスローガンは不十分であると思う。どのような方向で決めるのか。おおむね「無駄を省き、競争を導入し、強い国にする。」という事なのであろうが、一方で、競争原理になじまない分野を含む「文化」を切って捨てるという単純さに危険性が潜む。当面の課題を解決する能力には瞠目するが、
一方で、「日本らしさ」とは、何か、深い思索を抜きにして、簡単に判断する危険さが、これはホリエモンと同様の危うさを含んでいると思う。国家・国体・国民の、何を護るべきなのか、ということについては、すこし懐の深いところで考えて欲しいので、それこそ彼に「白紙委任」したくはない。彼の政治というものにはある意味での白紙委任が必要だ、という発言自体は、正論だけどね。
 
 

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