銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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石田テツヤさんについて

   

石田徹也、という人がいて、このブログを読むくらいの人は知っているのだと思うけれど、かなり最近評価が高く、たぶん生前は売れなかったろう絵が、1000万以上でオークションで売れたりしている。

現代社会に無理矢理はめられてしまう青年の哀しみを極端なデフォルメで描いた、というような作品である。僕は彼の作品がもてはやされているのは、彼が若くして死んだことと関係があると思っている。なぜなら、彼の主題は、社会に疎外感をいだくナイーブな青年、という物語を持たないと成り立たないから。彼は事故でなくなって、物語はきちんと完結して、彼の絵は永遠となってしまった。

ここでふたつのことを僕は考えるのだ。

ひとつは、青春の「疎外感」を描いた作家が長続きするのか、という問題。

僕は映画監督のヴェンダースに大学生の頃惚れ込んでいた。ベルリン、天使の詩、という映画など、もう何度も見たが、その次の作品で、異常につまらない作品をとって、彼は失速していった。彼は、成功しないからこそ、珠玉の青春映画、つまり疎外と孤独をテーマにできた。しかし、賞を取り、お金と名誉を得ると、馬脚を現してしまった。
石田徹也が長生きしたら、もっとおもしろいテーマに移行したかもしれないが、そうでなかったかもしれない。もし生き延びた石田がいたとしたら、どういう作品を描いたのか、1000万で売れてしまった彼は、それでも、「お金や名誉」に疎外される自分、なんて孤高のストーリーを絵にしたのか、できたのか、そこに興味がある。
もう少し話を広げると、成功した芸術家が成功し続けるためのモチベーションの問題でもありますが。

もうひとつは、美術家と「死期」の問題。ここで思うのは菱田春草と、速水御舟だ。彼らは、異常に早熟で、30代にして、とくに御舟はほとんど永遠の瞬間が封じ込まれたような完璧な水墨の花を描いて30代の晩年を終えた。春草はあの「落葉」を、すでに目が不自由だったにもかかわらず、異常な集中力で奇跡のような画面を作った。

彼らには「死期」というものを意識して、ラストスパートのように作品を遺したのか、凄みのある作品を遺したからこそ、運命のように死が近づいたのか、そのあたりはどうなのだろう。

ここで僕が考えたいのは、別に理知的な話でなく、運命論である。なにか運命の糸に引き寄せられて彼らの仕事と人生はあったのか。あるような気が、してしまうのです。


さらに自分の人生に重ねてみる。

ソフトブレーンという会社の宋社長さんは、若くして引退するという。春草も御舟も30代で完璧な仕事をして、死んでいった。自分の人生は、40代前半。まだ何一つ成し遂げていない、という気がする。このままでは、運命の神というものがあるとすれば、当分は死なせない、という事になる。

船井総研の船井さんや、最近流行の勝間さんには「すべての出来事を肯定する」「過去はすべて正しい」という考え方がある。すごくポジティブな考え方で、好きである。このことが本当に思えると、つまり自分の人生を肯定しきると、とても感動する。30代で、一生分の仕事を成し遂げた彼らとは違う何かが自分にもあるはずだと。

でも、人の人生に意味、などなくてもよい、本来ない、何もない、肯定も否定もない、もっと根底的な肯定、というものもあるような気がする。五木寛之「ニンゲンノ覚悟」あるいは禅的、仏教的なとらえ方のようなもの。

人生ってナンなのでしょう。

 - 美術の世界あれこれ

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