銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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アートフェア東京、本日から

      2021/03/21

アートフェア東京が、始まります。

私どもはこの10年以上取り組んできた「美人画」の特集をやります。「美人画」なんてとうの昔に忘れ去られていた日本美術シーンに、「美人画」、やってもよいではないか、と始めたのが池永康晟と私ども秋華洞でした。

大正時代にその爛熟のピークを迎えた美人画の実物と、現代の「美人画」を同時に展示するという試みは、その後の美術マーケットにジワジワと影響を与え、今ではいわゆる美人画を描く若い画家が増えてきました。

世の中の一部では「美人画ブーム」と言われたりもしています。あくまでも一部ですが。それと同時に言われているのが「写実画ブーム」ですね。これはホキ美術館さんのコレクションが大きな契機になっていますが、なんといっても森本草介先生の影響が大きいです。

いわば池永康晟と森本草介が日本人好みの「人物画」のトレンドを作ってきたとも言えるでしょう。

ところで、先日のある経済誌のアート特集では、投資として買うなら「美人画と写実画」は買ってはいけない、現代アートの成長株を買わなければ、とある記事に書いていらっしゃいました。なぜなら両者は日本のマーケットでしか通用しないからだと。

この見方には肯定も否定もする、というのが私の立場です。

たしかに日本人だけが好みの美術品は、日本人の経済状況のみに依存するリスクがあります。また、投資にふさわしい現代アートの資格は「アートのルール」を支配する立場を取りに行く、ということが必要だからです。その意味では、むしろ復古主義的な立場ともいえる、写実と美人は今、買うのがふさわしくない、という考え方は成り立ちます。

同時に反論もふたつしておきます。

まず一つ目は、アートの文脈は欧米のみが支配するもので、そのルールに従うものだけが生き延びる、という無意識の前提が上記の考え方にはある事を指摘しておきたいと思います。戦後美術のルールはいわばアメリカが作ってきました。デュシャン、ピカソ、ウォーホル、ポロック、バスキア、そしてダミアン・ハースト。この中で何人かはアメリカ人ではありませんが、現代アートのルールのルールを作った方たちという意味でつなげました。

その流れに従うのが美術のルールなのだ、という前提です。ただ、実はここには日本の植民地主義的な自己卑下が混じった考え方でもあります。自分たちの好きな美術はあくまで、ルール外なのだ、日本人の好みや喜びなど取るに足らない、とする考え方です。

しかし。

実は、日本のアートが世界に影響を与えて、ルールを変えた例は枚挙にいとまがありません。印象派に影響を与えた広重、北斎。ゴッホに憧れを抱かせた英泉の美人。フランスガラス工芸に強い影響を与えた北斎漫画や高島北海のデザイン。戦後のポロックなどの抽象芸術の流れと相関した墨美の前衛書家たちの活動。ウォーホルに真似をさせたという草間彌生の繰り返しのモチーフ。

最近は、コミックの現代アートへの引用が目立ちますが、これから欧米の美術シーンに影響がもしかしたら出てくるかもしれません。

美人画や写実が果たしてルールを変えるのか、ということについては、あまりもしかしたら影響はないのかもしれません。しかしネット時代に、池永康晟の図像の影響力は広くヨーロッパに深く浸透を始めているのは、私どもが欧米での展示を通して気づいているところです。これからも日本発のオリジナルな「ルール」が、世界を変えていかないとは限りません。

大事なことは、本当は既存のルールだけではなく、自分の内なる文化を信じる信念ではないでしょうか。

2つ目は、写実についても美人についても言えることかもしれませんが、これが本当に歴史に残るアートになるのかどうか、つまり現代人そして未来の現代人になくてはならない存在になるのかは、いま生きているアーティストたちがどのように今後活動するかにかかっており、まだ結論は出ていない、ということです。復古主義的な文脈にとどまるなら、いわゆるガラパゴスとして、いわば日本の「ケータイ」文化みたいに消えてなくなる運命なのかもしれません。

ですが、彼らはもっと本質的なものをあみだす可能性もあります。

私は、西洋のルール、あるいは「グローバルスタンダード」にただ振り回されているだけのアートを良しとは思いません。日本人なら、日本人にしかできない、あるいはAくんならAくんにしかできない「切実な何か」をルールにぶつけることが、アートに変化をもたらし、Aくんの変化も作るのではないかと思うのです。

私どもは、その可能性に掛けているともいえます。

本当のところは、「美人画」が発展しようが、廃れようが、それは本質ではありません。どうにもこうにも、どうしても欲しい、世界の誰かの心をつかむ「何か」を、今、仮に「美人画」と呼ばれているモノたちから出てくるかどうかが問題なのです。それは美しさでも醜さでもいい。でもどうしても欲しい、世界を終わりに陥れても欲しい、そういうものが作れるのか。

それが将来美人画と呼ばれようが、なんと呼ばれようが、構わないのです。かつて美人画と呼ばれたものが、こんな地平まで来たのか、というものでもよろしい。

Art Fair TOKYO2021 Shukado

よくもわるくも、いや多分、よくもよくも、私達日本人は、日本文化の土台の上に生きています。浮世絵から始まり、夢二や松園でピークを迎えた「美人画」は、私達日本人の強みでもあります。それを現代や、未来に活かすことができれば、面白い。形も何も、全部崩れて壊れてもいい。だが、私達が人間の形をした人間であること。そこには肉体があり、精神があり、魅力があること。そのことを思い出させてくれるものであれば、それは「未来の美人画」たりうるのではないでしょうか。

そういう「なにか」が出てくるプラットフォームのひとつとして、私達は役割と機能を果たせたら、と考えているのです。

アートフェア東京2021は有楽町フォーラムにて。

本日はVIPプレビュー、明日から一般公開です。

すなわち一般公開日は令和3年(2021年)3月19日(金)から21日(日)まで。

ブースナンバーはG-055。向かって正面一番奥の一番右側のブースです。

https://www.syukado.jp/exhibition/art-fair-tokyo-2021/

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