銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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バカ親に感動

   


妻が図書館で借りてきた「バカ親は私でした?!」という本を銀座の喫茶店で二人で飯を食っていたところちらりと読んで感動。
 というのは大林宣彦が、この作者(三宅玲子)さんの取材をうけて、「戦後日本の教育が間違っていたのはぼくの世代に責任がある」という語りを読んだからだ。
大林宣彦の映画は好きな物もそうでないものもあるし、あの人の「やさしさ」が全面的に好き、という訳ではないけれど、戦後の問題点を集約したような言葉には正直で率直で真摯な印象を受けた。

問題は「自由主義」ということ。「なんでも自由だよ」という教育を自分はしたが間違っていた。その自分の間違った原因は、敗戦の衝撃だった。それまで間違えてお尻にしこうものならこっぴどく怒られた教科書に、ある日突然墨を塗らされた衝撃。おそってくると思ったいた米兵が優しかった驚き。親の世代が全く信じられなく、また親たちも子供に自由を言うしかなかった。自分はこどもに「自由」を与えていたが、実は子供にとっては迷惑なことだったと後に気づいた、という話。

ぼくの母校、「武蔵」は自由な校風を自称するけれども、その「自由」にもずいぶんと瑕疵があったとぼくは思っている。自分の親も「自由」に生きるしかなかったようだけれど、はやり危うい物がある。「子供」に与えられる「自由」は実は地獄だったりもする。

例えば、大林は「寝なさい」とは言わなかったという。「いつ寝てもいいのだよ、君の自由だ。それによっての影響は自分で考えなさい」と伝えた。けれどもそれは間違いだったと気づくことになる。

武蔵の「自由」は親が与える「不自由」に支えられてこそ、生きてきたものと思う。指針を失って漂流する日本の教育で、「自由」とは麻薬でもすって昼間からヨタヨタパチンコでもしている、自由、というものも含んでいる。

子供には愛情のある「不自由」を与えるべき、ということにもうすでに多くの人は気がついているが、同時に馬鹿な親「モンスターペアレント」は「自由」というキーワードに翻弄されて人生を送っているのだろう。

何の指針も持たないまま、総理で居続ける事だけを目的とする首相が生まれたのも、戦後の「自由」のせいのような気がしてならない。

「お茶」なんか「不自由」のカタマリですよね。でもお茶は苦手だったりして。。

で、この本、先ほど注文してみた。手に入れて、じっくり読んでみたい。

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