銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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舛添さんと美術品

   

4977_2_1舛添さんがヤフオクで政治資金で美術品を買っていたらしきことが話題になっている。

僕が大学時代(理一だった)、友達の文系の連中が何人か舛添ゼミにはいっていた。たぶん政治思想史か何かであっただろう。たいへん厳しい先生で、そうとう勉強しないとついていけないという噂であった。そのころ、政治学など興味なかったので、真面目な連中がいるものだと思った、なにしろ、宿題が大変だという。そこまで頑張って文系の勉強に時間を費やすのは無理だぜ、と思ったものだ(ぼくはその頃見田ゼミと蓮實ゼミ、それから最首先生のゼミが好きであった)

その後タレント、政治家となっていくのだが、「TVタックル」という僕の好きな北野武がやっている政治討論アンドお笑い番組があって、よく彼は出ていた。しょーもないことを言うゲストのなかで、流石にクレバーな印象であった。週刊誌で別れた女性達への仕打ちがしばしば叩かれたモノの、厚生大臣などの仕事は誠実にやられている印象であった。一方で、小泉進次郎がハッキリ言ったように、自民党の苦しい野党時代に自民党を離れてしまったことは、賢いのかもしれないが、近視眼的な印象で、小賢しい印象も受けた。政治の世界は政策の妥当性もあるが、仲間内での義理人情、国民にも同僚にも信用される誠実さも必要だ。役人も国民も納得させる人格が最終的に事を動かす。その意味では前の鳥取県知事の片山さんは非常に素晴らしい方だと思うが、舛添さんは、どうなのだろうか。

今回、政治的な国際交流のために美術品を購入したと彼は釈明している。もしそうであれば、そのこと自体には問題は無い。けれども具体的にはどのようなことか。彼の購入した絵画はリトグラフなどが多いようだ。すなわち、私たちが「美術品」と呼ぶ範疇はなく、エスタンプと呼ぶジャンルのものと、比較的ささやかに楽しむインテリア的なものであったようだ。これをしかるべき交流相手に差し上げるのに使ったとしたら、その用途にまで水を差すのはおかしい。日本と海外の会社同士の交流に、ささやかな美術品のプレゼントは、けして悪い事ではない。なので、もしそのこと自体を問題にして、美術品が悪者のようにされるのは迷惑な話だ。

しかし、今回、不可解な点が3点ある。

ひとつめ、「交流」に使ったのは、しかし具体的にはどうのようなことか。知事室に飾ったと言うことか。それが悪いとは思わぬ。本当に優れた美術なら、都庁に飾ることで訪問者に日本の文化を感じさせるのはむしろやるべき事だろう。もしそうだとしたら、批判は的外れ、ということになる。ただ、どうも曖昧だ。実際のトコロどうだったのか。

ふたつめ、何故「ヤフオク」なのか。ヤフオクは実は公売などで、都庁をはじめ自治体は滞納者の現物納税処分によく使われているので、ヤフオクじたいが美術品売買の場としてオカシイ、ということにはならない。しかしながら、知事が公金を使うマターとして、「個人」購入のイメージが強いヤフオクで購入するというのは、果たして相応しいことなのか。隠れてコソコソ個人の趣味を満足させている印象を否めない。

三つ目、それは前項と同じ事であるが、公の用途であれば、総務部など配下の部門を使って購入物を精査し、購入すれば良いことである。自分で直接購入する、ということに、どのような正統性が担保されるというのか。頭の良い人だから、お分かりになるはずだ。

今回、「大金」を美術に使っている、という報道があるが、美術の文脈で言えば、大金というのは誇張である。大金というなら、数百、数千万の事を言ってくれたまえ。テレビ局も、新聞も、プロパーの社員はそれこそ「大金」のサラリーをもらっているクセして、人の批判をするときは、やけに金銭感覚がセコくなる。彼が本当に美術を応援するのなら、どうせなら、もっと大きな単位で、美術品を購入して、文化貢献したって、構わない筈だ。たとえば従来の都の政策で現代アートの応援をするために若い人への奨学金や購入をしたり、一部の物故作家の作品を購入して若い人に研究する機会が増えてもよいだろう。もうすでにいろんな事も進んでいるかと思う。それであれば、舛添さんの使った200万(だったか)あまりのお金など、小さすぎるくらいだ。しかしおそらく、要するに、今回は彼の趣味であろう、ということをむろん問題にしているから、その金額が大きすぎる、ということであろう。そう、本当に趣味であれば、公金は1円たりとも使ってはいけない、すこし緩く言っても、趣味が入っていたとしても、だれもが納得するような文脈がなければ流石に世間は納得しない。

ところで、ホリエモンが自分のサイトに書いていたが、今回の報道で「感情的」に首長を替えて、選挙をやることになれば、清貧だけども無能な人、が知事をやり、都政はますます悪くなるであろう、と指摘していた。たしかに、なんでもかんでも政治家に「クリーン」を求める今の傾向は結局は衆愚政治を招き、政治不信の連続をもたらすというのも本当だとは思う。舛添さんが何かまともな仕事をこれからやらない、という保証はない。(都政としてのいい仕事を、今までやったかどうかは、よくわからない。)今、次期の知事として蓮舫だの何だのという名前が取りざたされているが、「クリーン」なイメージなど、碌な事にならないのは確かだ。「クリーン」な人は、頭の中身も「クリーン」なことが多い事は、誰でも知っている。

しかし先ほどの片山元鳥取県知事は「人がついていくようなリーダーには、信用がもっとも大事なのに、その信用をなくすような行動をする人は、リーダーにふさわしくない」という旨のことをどこかに書いていたのを見た。それはそのとおりだと思う。

マスコミは、溝に落ちた犬を叩くのが仕事、という側面があるから、もうこれは仕方がないが、しかし、国民のわれわれとしては、今回どこからどこまでが本当の問題なのか、きちんと見る必要がある。新聞も週刊誌も批判するから、安心して批判するだけでは、あぶなっかしい。

今回のことで、僕がマズイなと思うのは、ファーストクラスやらスイートやらが、もし本当にセキュリティ上などの理由で必要な場合があったとしても、非合理的に選択しない、というまたつまらない自己規制を政治家が行うようになったら、それはまたマイナスなことになる。吟味して必要とあれば、使えばよろしい。「贅沢」に見えようが、庶民の「嫉妬」にすべて合わせるようになれば、それはポピュリズムだ。

そして、何より、美術品が何か政治がらみの「悪」のイメージが今回つくことが嘆かわしい。舛添さんが好きだと言われている美術館鑑賞や美術品購入は、そのことじたいは、とても日本にとって大事な事だ。公私の区別が出来る人であれば、むしろ大いに行動に移すべき事である。日本の文化予算は、欧米に比べてもアジア諸国に比べても低い、低すぎる、と聞く。こんどの「事件」が美術文化政策に水を差すようになったとしたら喜劇であり、悲劇だ。

今後も報道が続くと思うが、何が本当の問題なのか、よく見ていくことが、必要だと思う。

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