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新版画とは?川瀬巴水・吉田博の魅力と新版画の値段を銀座の老舗美術商が解説

骨董品買取プロ代表 田中千秋
監修:絵画骨董買取プロ(運営:秋華洞) 代表 田中千秋

協同組合美術商交友会 理事長/全国美術商連合会 理事/国際浮世絵学会 理事/松風会 会主/東京美術倶楽部 会員/東京美術商協同組合 会員/浮世絵商協同組合 会員/築地ロータリークラブ 所属

「川瀬巴水」や「吉田博」という名前、どこかで目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。雪の降る静かな夜の町や、光きらめく瀬戸内の海を描いた美しい木版画は、「新版画」と呼ばれる作品です。ご実家の押し入れや、長年飾ってきた額の中に、こうした版画が眠っていることも少なくありません。

この記事では、新版画の意味や浮世絵との違い、代表的な作家、歴史といった基本に加えて、浮世絵、新版画も含め常時1,000点以上を扱う銀座の画廊「秋華洞」だからこそお話しできる、新版画の「値段」と「価値の見極め方」をお伝えします。監修は、国際浮世絵学会の理事も務める、絵画骨董買取プロ代表の田中千秋です。お手元に新版画がある方も、これから新版画に親しみたい方も、ぜひ最後までお読みください。

この記事のポイント
  • 新版画とは、大正時代から昭和にかけて、浮世絵の木版技術を受け継ぎながら、風景画や美人画を現代的な感覚で描いた木版画です。
  • 江戸の庶民の娯楽だった浮世絵に対して、新版画は海外での販売も見すえた「美術品」として作られました。
  • 川瀬巴水・吉田博・伊東深水らの作品は国内外で人気が高く、巴水の作品には10年で買取価格が約2倍になったものもあります。ただし同じ図柄でも、いつ摺られたかによって値段は大きく変わります。
  • 買取のプロは「耳と落款」「日焼けと破れ」「初摺か後摺か」の3つを必ず見て、価値を判断します。

目次

新版画とは?浮世絵の技を受け継いだ大正・昭和の木版画

新版画を手に持つ絵画骨董買取プロの専門スタッフ新版画とは、大正時代から昭和にかけて、浮世絵の伝統的な木版技術を受け継ぎながら、風景画や美人画などを現代的な感覚で描いた木版画です。版元・絵師・彫師・摺師が力を合わせてつくる浮世絵の分業の仕組みを生かしつつ、西洋画の光や陰影の表現を取り入れ、移ろう時間や空気まで感じさせる描写をしているのが特徴です。

なかでも川瀬巴水や吉田博、伊東深水らの作品は、近年、国内外で急速に評価が高まっています。ここでは、新版画という言葉の意味と、よく似た「創作版画」との違いを見ていきましょう。

「新版画」という名前の意味

新版画は「しんはんが」と読みます。ここでいう「版画」とは、簡単にいえば浮世絵の木版画のことです。つまり新版画とは、江戸時代の浮世絵に対する、新しい時代の浮世絵版画という意味の言葉です。大正時代に花開いたことから、「大正新版画」と呼ばれることもあります。

明治時代の終わりごろ、写真や新しい印刷技術に押されて、浮世絵の版画は急速に衰えていきました。江戸時代から磨かれてきた彫りと摺りの技を、新しい時代の美術としてよみがえらせる。それが新版画の出発点です。

新版画と創作版画の違い

新版画と同じ大正時代には、「創作版画」と呼ばれる木版画も生まれました。名前は似ていますが、つくり方の考え方がまったく違います。

創作版画は、画家が自分で絵を描き、自分で版木を彫り、自分で摺る版画です。画家ひとりの手で完成させることに価値を置きました。これに対して新版画は、浮世絵と同じように、版元のもとで絵師・彫師・摺師が分業してつくります。この「分業か、ひとりで手がけるか」が、二つのいちばん大きな違いです。

ただし、のちほどご紹介する笠松紫浪のように、新版画で活躍したあと、晩年には自分で彫りや摺りも手がけた作家もいます。

浮世絵と新版画の違い

浮世絵と新版画は、どちらも分業でつくられる木版画です。しかし、作られた目的が大きく違います。浮世絵が江戸の庶民のための身近な娯楽だったのに対して、新版画は、海外での販売も見すえて作られた「美術品」でした。

浮世絵 新版画
時代 主に江戸時代から大正時代 大正時代から昭和
主な買い手 町人を中心とした庶民 国内の愛好家と、海外のコレクター
位置づけ 流行を伝える娯楽・情報媒体 鑑賞するための美術品
主な題材 役者、美人、名所、武者、戯画など 風景、美人、役者、花鳥
表現 輪郭線で形をとらえる 西洋画の光や陰影の表現、空気感
絵師の立場 版元の企画に沿って描く 絵師の個性を生かして描く

江戸の浮世絵は、今でいう雑誌やポスター的な役割を持ち、安い値段で誰もが気軽に楽しめるものでした。一方の新版画は、製作段階から外国での販売を視野に入れ、娯楽ではなく芸術として売り出されました。

新版画を生み出した版元の渡邊庄三郎は、作品づくりの方針として「旧型に囚われないよう又肉筆画らしく成らぬよう」と書き残しています。江戸の浮世絵の決まりごとにとらわれず、かといって筆で描いた絵のまねもしない。木版画にしかできない美しさを追い求めたのが新版画なのです。

浮世絵の意味や歴史、値段について詳しくは、以下の記事で解説しています。

関連記事:浮世絵とは?意味・歴史・値段の決まり方を銀座の老舗美術商が解説

代表的な新版画の作家と、美術商から見たその魅力

新版画の世界にも、国内外で愛される作家が数多くいます。ここでは代表的な作家を、教科書的な紹介に加えて、浮世絵と新版画を長年扱ってきた私たちの目から見た魅力とともにご紹介します。

川瀬巴水

川瀬巴水「芝増上寺」
※この作品:川瀬巴水「芝増上寺」

川瀬巴水(1883〜1957年)は、新版画を代表する風景画の作家です。鏑木清方に日本画を学び、同門の伊東深水の木版画「近江八景」に感激して、版画の道へ進みました。大正7年(1918年)に渡邊庄三郎の版画店から塩原の風景を描いた三部作を発表して以来、全国を旅して写生を重ね、生涯に約700図の版画を残しています。雪景色や雨、月夜を描いた作品はとくに人気があります。

代表の田中は、巴水の絵の新しさを「影」と「憂い」にあると見ています。光と影の表現そのものは、明治時代の小林清親がすでに取り入れていました。しかし、そこに寂しさと情緒を見いだしたのは巴水だった、というのです。田中はこう書いています。「巴水の『影』は近代人の持つ『孤独』の影である」。人影のうしろで犬がぽつんと佇んでいる。そんな画面に私たちは「小さな孤独」を感じ取り、深く共感するのです。

巴水の作品は、かつては外国人向けの「おみやげ」にすぎないと言われたこともありました。しかし田中は、その枠があったからこそ、巴水はかえって自由に描くことができたと考えています。そして、心を深く刺される作品は、渡邊庄三郎の版画店と組んだもの、それも比較的仕事の前半に多いといいます。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズが巴水の作品を愛好したことも、よく知られています。田中の言葉を借りれば、今や巴水は日本の作家ではなく、世界の作家になったのです。

川瀬巴水の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

吉田博

吉田博「瀬戸内海集 光る海」
※この作品:吉田博「瀬戸内海集 光る海」

吉田博(1876〜1950年)は、洋画家として出発し、のちに木版画の世界でも名声を得た作家です。明治32年(1899年)から何度もアメリカへ渡り、各地の美術館で水彩画や油彩画の展覧会を開くなど、若いころから海外で高く評価されていました。大正9年(1920年)ごろから木版画の制作を始め、大正14年(1925年)からは自ら版元となって作品を出版しています。

高い山に実際に登って描いた作品が多く、「山の画家」とも呼ばれました。代表作には「日本アルプス十二題」や「瀬戸内海集」があり、なかでも「瀬戸内海集 光る海」は、イギリスのダイアナ元妃が執務室に飾っていたことでも知られています。洋画家らしく、色の面を重ねて風景を組み立てる表現も、吉田博ならではの魅力です。近年はとくに人気が高まり、注目を集めています。

なお、吉田博は自ら版元となって作品を出版したことから、渡邊庄三郎のもとで生まれた新版画とは分けて考える見方もあります。しかし私たちは、こうした分類にそれほどこだわる必要はないと考えています。大切なのは、枠にとらわれず、作品そのものの美しさに目を向けることです。

吉田博の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

伊東深水

伊東深水「春宵」
※この作品:伊東深水「春宵」

伊東深水(1898〜1972年)は、鏑木清方、上村松園と並ぶ「三大美人画家」のひとりです。13歳で鏑木清方に入門し、「深水」の号も清方から授かりました。大正5年(1916年)、渡邊庄三郎の新版画に参加し、18歳で美人画の第1作「対鏡」を手がけています。「最後の浮世絵系美人画家」とも称される存在です。

師の清方が、物語の世界を感じさせる時代風俗の美人を描いたのに対して、深水が描いたのは、目の前に生きる現実の女性でした。はつらつとした、同時代の女性の姿や仕草をとらえたところに、深水の美人画の新しさがあると私たちは考えています。

また、深水の作品には、通常の「深水」とは別に「此君汀深水(しくんていしんすい)」という落款が入ったものがあります。特に出来栄えの良い作品に用いたといわれ、当社でも「此君汀深水」の落款の作品は、通常の「深水」の落款の作品よりも一段高く評価しています。

伊東深水の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

笠松紫浪

笠松紫浪「浅草観音堂大提灯」
※この作品:笠松紫浪「浅草観音堂大提灯」

笠松紫浪(1898〜1991年)は、14歳で鏑木清方に入門した、巴水や深水の弟弟子にあたる作家です。清方の勧めで版画を始め、大正8年(1919年)に渡邊庄三郎の版画店から「青嵐」を刊行しました。新版画の始まりのころから昭和の終わりまで制作を続け、「最後の新版画家」とも呼ばれています。

吉田博が色の面で風景を組み立てたのに対して、日本画から出発した紫浪は、浮世絵の伝統をくむしっかりとした「輪郭線」で風景をとらえました。真骨頂は、「雨」「雪」「夜」の空気感です。しっとりとした雪や、闇夜にもれる温かな灯りを、みずみずしい色で表しています。

戦後は渡邊のもとを離れ、京都の版元・芸艸堂(うんそうどう)から作品を発表しました。芸艸堂の作品では輪郭の線が太くなるなど、時代や版元によって作風が変わるのも、紫浪の作品を見る楽しみのひとつです。

笠松紫浪の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

そのほかの新版画の作家

このほかにも、新版画の世界には魅力的な作家がいます。

  • 小原古邨(新版画では祥邨):花鳥画を得意とした作家。はじめは輸出用の木版花鳥画を手がけてヨーロッパで高く評価され、大正ごろからは「祥邨」の落款で、渡邊庄三郎の版画店から新版画を刊行した
  • 石渡江逸:川瀬巴水に学び、横浜などの風景を描いた作家。渡邊庄三郎の版画店から新版画を出したのは、昭和6年(1931年)からの2年間に限られる
  • ノエル・ヌエット:フランス出身。日本でフランス語を教えるかたわら、土井版画店から「東京風景」などの作品を出した

それぞれの作品・買取については、小原古邨、石渡江逸、ノエル・ヌエットの各ページをご覧ください。

当社で扱っている浮世絵師・版画家の一覧は、浮世絵師・版画家の一覧ページからご覧いただけます。

新版画はどうやって作られる?版元・絵師・彫師・摺師の分業

新版画の摺りの拡大新版画も浮世絵と同じく、一人の画家が完成させる絵ではありません。版元・絵師・彫師・摺師という4者の分業によって生み出されます。

役割 仕事の内容
版元(はんもと) 作品を企画し、絵師や職人に仕事を依頼して、出版・販売する。新版画では渡邊庄三郎がその中心だった
絵師(えし) もとになる下絵を描く。旅先での写生をもとにした風景や、同時代の女性の姿など
彫師(ほりし) 下絵をもとに、線の版と色ごとの版を版木に彫り分ける
摺師(すりし) 版木に絵の具をのせ、和紙に色を重ねて摺り上げる。ぼかしで光や空気を表す

仕組みは浮世絵と同じですが、考え方には違いがあります。渡邊庄三郎は「画家の個性を発露する事が主」と語ったとされ、絵師の個性を作品に生かすことを大切にしました。初期の新版画には「かげ彫」や「ざら摺」と呼ばれる表現がよく見られます。これらは、筆で描いた絵ではなく、彫刻刀とばれんによる絵であることを示す表現とされています。

浮世絵と同じく、版木は摺るたびに少しずつすり減っていきます。また、作品には作家の落款や印のほか、版元の印が入っていることがあります。こうした点が、のちほどお話しする新版画の値段や見極め方に深く関わってきます。

新版画の歴史

新版画は、明治時代の終わりに浮世絵が衰えていくなかで生まれ、大正から昭和にかけて大きく花開きました。その歩みを見ていきましょう。

明治時代の終わり:浮世絵の衰退と、版元・渡邊庄三郎の挑戦

新版画の生みの親は、版元の渡邊庄三郎(1885〜1962年)です。渡邊は横浜の古美術店から出発し、歌川広重の作品の後摺りの現場で浮世絵に魅了されたといわれています。

明治30年代の後半、浮世絵の版画は急速に衰えていました。江戸時代から磨かれてきた彫りや摺りの技術が、使われなくなっていく。その事態を憂いた渡邊は、古い浮世絵の復刻を手がけながら、技術や画材の知識を蓄えていきます。

そして大正4年(1915年)、渡邊はオーストリア人の画家フリッツ・カペラリと組み、新版画を本格的に始動させました。この年のうちに12点の作品が完成しています。

大正時代:橋口五葉・伊東深水・川瀬巴水の登場

カペラリとの試行錯誤を土台に、渡邊は日本人の画家たちに声をかけていきます。大正5年(1916年)には、橋口五葉の「浴場の女」が刊行されました。これが日本人作家による新版画の第1作とされています。

橋口五葉の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

同じ年、伊東深水が美人画の「対鏡」を手がけ、翌年には風景画の「近江八景」を発表しました。この「近江八景」に心を動かされたのが川瀬巴水です。大正7年(1918年)、巴水は塩原の風景を描いた三部作を刊行し、新版画の風景画を代表する作家への道を歩み始めました。

大正10年(1921年)には、日本橋の白木屋呉服店で「新作板画展覧会」が開かれ、11名の作家による150点が並びました。新版画は、新しい美術として世に知られていきます。

関東大震災:版木が焼け、そして再出発

ところが大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が起こります。渡邊の店は火災で全焼し、版木と作品の大半が失われました。

この震災によって、それ以前に摺られた作品はとても少なくなりました。巴水の「東京十二題」や「旅みやげ」の第一集・第二集など、震災より前の作品が今も貴重とされているのは、このためです。

それでも渡邊はすぐに立ち上がり、翌年には出版を再開しています。そして震災のあと、新版画は海外、とくにアメリカでよく売れるようになりました。今日の海外での高い評価の土台は、この時期に築かれたといわれています。

昭和時代:海外での人気と、戦後の新版画

大正14年(1925年)からは、吉田博が自ら版元となって木版画を出版し、「瀬戸内海集」などの名作を生み出しました。戦中までに作られた新版画は、2,000〜3,000点にのぼるともいわれています。

戦後も新版画の制作は続きました。巴水は昭和32年(1957年)に亡くなるまで風景版画を描き続け、紫浪は芸艸堂から新しい作品を発表しています。そして現在も、渡邊木版美術画舗などでは、巴水などの作品の「後摺(あとずり)」が摺られています。古い時代の摺りと新しい摺りが同時に存在していることも、新版画の大きな特徴です。

新版画の主な題材

新版画の題材は、大きく分けて次の4つです。江戸の浮世絵にあった戯画(ユーモアのある絵)や戦争画といったジャンルは、新版画にはありません。

題材 描かれたもの 代表的な作家
風景画 全国の名所、雪・雨・月夜の情景、海外の風景 川瀬巴水、吉田博、笠松紫浪、石渡江逸
美人画 同時代の女性の姿や仕草 伊東深水、橋口五葉
役者絵 人気の歌舞伎役者 名取春仙
花鳥画 草花や鳥、小さな動物 小原古邨(祥邨)

名取春仙の作品・買取については、こちらのページをご覧ください。

なかでも人気が高いのは風景画です。買取の現場でも、巴水や紫浪の雪・雨・夜を描いた作品は、とくに安定した人気があります。

新版画の値段はいくら?巴水は数万円から100万円以上まで

ここからは、多くの方が気になる新版画の「値段」についてお話しします。新版画の値段は、作家や作品、摺られた時期によって大きく異なります。たとえば川瀬巴水の版画であれば、数万円のものから、100万円を出しても買えないものまで、非常に幅があります。

新版画は、はじめから海外で愛された美術品だった

先ほどお話ししたとおり、新版画は海外での販売も見すえて作られた美術品でした。関東大震災のあとはとくにアメリカで人気を集め、今も世界中に愛好家がいます。

ダイアナ元妃が吉田博の「光る海」を執務室に飾り、スティーブ・ジョブズが巴水の作品を愛好したように、新版画は「日本の美」として、海外で高く評価されてきたのです。国内でも、巴水は平成25年(2013年)の生誕130年を記念した展覧会のころから評価がさらに高まり、吉田博も近年あらためて注目を集めています。こうした国内外の需要が、新版画の値段を支えています。

巴水の版画は「100万出しても買えない」ものも

では、実際にはどれくらいの値段がつくのでしょうか。代表の田中は、巴水について次のように語っています。

「巴水は安いものは数万のものもあるが、高いものは100万出しても買えない」

なぜこれほどの差が出るのでしょうか。田中は、その理由のひとつを「世界がマーケットの商品は強い」と表現しています。世界中の人の心に刺さった作品だからこそ、良いものには国境を越えて買い手がつくのです。

そして同じ巴水の作品でも、値段を大きく分けるものがあります。

  • 関東大震災より前の作品は、版木ごと焼けてしまったため数が少なく、大変貴重
  • 同じ後摺でも、巴水が生きていたころに摺られたものかどうかで、評価が違う
  • 平成や令和に摺られた復刻版は、図柄が同じでも、当時の作品とは買取価格が大きく変わる

当社の買取事例:巴水「神戸長田神社(八雲橋)」は10年で約2倍に

川瀬巴水「神戸長田神社(八雲橋)」買取価格 10年前約30万円から現在60万円に
買取価格 10年前 約30万円 → 現在 60万円

巴水の評価が高まっていることは、当社の買取価格にもはっきりと表れています。

代表の田中がテレビ朝日「グッド!モーニング」に出演した際には、川瀬巴水の「神戸長田神社(八雲橋)」の買取価格の変化をご紹介しました。10年前には約30万円だった買取価格が、今では60万円にまで上がっています。わずか10年で、およそ2倍です。

版画の買取について詳しくは、版画買取のページをご覧ください。

参考:浮世絵の買取実績

新版画の源流である浮世絵でも、作品によって値段は大きく変わります。当社では、歌川広重の「名所江戸百景 目黒新富士」を230万円で買い取った実績があります。浮世絵の値段について詳しくは、以下の記事で解説しています。

関連記事:浮世絵とは?意味・歴史・値段の決まり方を銀座の老舗美術商が解説

浮世絵も新版画も、有名な作家の名品であれば高い値がつく一方で、同じ作家の同じ図柄でも、数千円にとどまるものもあります。その差を生むのが、次の章でご紹介する「プロが見る3つのポイント」です。

【買取のプロが解説】新版画の価値はここで見極める

新版画の価値を決めるうえで、まず大切なのは「誰が描いたか」です。版画は、骨董品などと比べて「作者」の評価がとても高い美術品です。そのうえで、買取のプロは次の3つのポイントを必ず確認しています。浮世絵を見るときと、肝になるところは変わりません。

  1. 作品の「耳(マージン)」と落款
  2. 日焼けと破れ
  3. 初摺か後摺か

その1:作品の「耳(マージン)」と落款

版画を手に取って耳(マージン)と裏面を確認する様子買取のプロが新版画を手に取ったとき、まず確認するのが作品の「耳」です。耳とは、絵の周りにある余白(マージン)のことです。

新版画では、絵の中や耳の部分に、作家の落款や印、版元の印などが入っています。これらは、誰が描き、どの版元から出された作品なのかを知るための大切な手がかりです。

ここで気をつけたいのが、同じ作家でも落款が違うことがある点です。たとえば小原古邨は、新版画を「祥邨」の落款で出しました。石渡江逸も、版元によって「東江」「庄一郎」という別の名義で作品を発表しています。署名が違うからといって別の作家と決めつけず、図柄や版元、題名をあわせて調べる必要があります。反対に、伊東深水の「此君汀深水」のように、落款の違いが評価の違いにつながることもあります。見分けるには、豊富な経験が欠かせません。

耳(マージン)が破れたり穴が開いたりした版画ただし、耳が切り取られていたり、傷んで残っていなかったりする作品も少なくありません。それでも、作者が分からないものや耳のないものでも買い取れる場合はありますし、ものによっては十分な値がつくこともあります。「署名が読めないから」「耳がないから」と自分で判断して、処分してしまわないようにしてください。

その2:日焼けと破れ

状態を確認している川瀬巴水の版画新版画も浮世絵と同じく和紙に摺られているため、光や湿気、虫の影響を受けやすい繊細な美術品です。

ぱっと見ただけではきれいな作品だと思っても、裏から光を当てて透かして見ると、和紙のほつれや破れ、穴を修繕した跡が見えてくることがあります。特に、額に入れて飾られてきた作品は、日焼けが目立つことが多くあります。シミや日焼けがあると、評価は下がってしまいます。

破れと日焼けのある川瀬巴水の版画状態の違いは、値段に大きく響きます。実際に、当社が川瀬巴水の作品を鑑定した際には、美品であれば50万円以上の値がつけられる作品が、破れと日焼けによって5,000円になってしまうことがありました。実に100分の1です。

新版画をお持ちの方は、直射日光や湿気を避けて保管することをおすすめします。破れやシミを見つけても、ご自身で修理したり、額から無理に外したり、紙を湿らせて伸ばしたりするのは避けてください。かえって価値を下げてしまうことがあります。

とはいえ、状態が悪いからといって諦める必要はありません。状態が良くなくても、作者によっては高値で買い取れる場合があります。版画の買取について詳しくは、版画買取のページをご覧ください。

その3:初摺か後摺か(生前の摺り・復刻版にも注意)

浮世絵と同じく、新版画も最初に摺られた「初摺(しょずり)」ほど発色や線が美しく、高く評価されます。

新版画で特に注意したいのは、人気の作品が、時代を超えて何度も摺り直されていることです。値段の章でご紹介したとおり、巴水の作品は初摺から平成・令和の復刻版まであり、後から摺られた「後摺(あとずり)」でも、巴水の生前に摺られたものかどうかで評価が変わります。見た目がほとんど同じでも、いつ摺られたかによって、値段はまったく違ってきます。

ここまでご紹介した3つのポイントは、どれも専門家でなければ判断が難しいものです。インターネットで同じ図柄の値段を調べても、ご自身の新版画の値段の参考にならないのは、このためです。

絵画の買取相場や鑑定については、以下の記事でも詳しく解説しています。

関連記事:絵画の買取相場は?絵画の値打ちを買取の専門家が解説
関連記事:絵画の鑑定とは?鑑定における重要な要素と評価基準

まとめ|新版画の本当の価値は専門家の目で確かめる

新版画とは、大正時代から昭和にかけて、浮世絵の木版技術を受け継ぎながら、風景画や美人画を現代的な感覚で描いた木版画です。海外での販売も見すえた美術品として生まれ、今も世界中で愛され、評価を高め続けています。

一方で、新版画の価値は「誰が描いたか」「どんな状態か」「いつ摺られたか」によって大きく変わります。同じ図柄でも、値段が10倍、100倍と違うことも珍しくありません。

ご自宅に新版画がある方は、額から外したり、ご自身で手入れをしたりする前に、まずは専門家に見てもらうことが、本当の価値を知るいちばんの近道です。

新版画の査定・買取は絵画骨董買取プロby秋華洞へ

絵画骨董買取プロ代表田中千秋とスタッフ金子大介

「絵画骨董買取プロ」は、親子四代、約90年にわたって美術品を扱ってきた銀座の画廊「秋華洞」が運営する、美術品買取専門店です。

秋華洞は、画廊として浮世絵や新版画の販売も行っており、浮世絵、新版画も含め、常時1,000点以上を扱っています。美術の街・銀座でも随一といっても過言ではない点数です。長年かけて国内外の美術館やオークションに独自の販路を築いてきたからこそ、一点一点の価値を正しく見極め、買取価格に反映することができます。代表の田中千秋は、国際浮世絵学会の理事も務めています。

査定は無料で、キャンセル料や無理な勧誘も一切ございません。銀座の店舗へのご来店のほか、全国無料の出張買取、宅配買取、写真を送るだけのLINE査定もご利用いただけます。「家にある版画の作家が分からない」「復刻版かもしれない」といったご相談も、お気軽にお寄せください。

版画の買取・査定のご相談はこちら

当社が販売している浮世絵や新版画は、秋華洞のオンラインギャラリーでもご覧いただけます。

新版画に関するよくある質問

新版画と浮世絵は、何が違うのですか?

どちらも絵師・彫師・摺師の分業でつくる木版画ですが、作られた時代と目的が違います。浮世絵は主に江戸時代の庶民が楽しんだ身近な娯楽でした。新版画は大正時代から昭和にかけて、海外での販売も見すえ、鑑賞するための美術品として作られました。

家にある川瀬巴水の版画が、昔のものか復刻版か分かりません。

巴水の作品は、初摺から平成・令和の復刻版まで、さまざまな時代に摺られています。いつ摺られたものかは、落款や版元の印、紙や摺りの状態などから専門家が判断します。復刻版でも買取できる場合がありますので、まずはそのままの状態でご相談ください。

額に入れて飾っていたら、日に焼けてしまいました。査定してもらえますか?

もちろん査定いたします。額から無理に外したり、ご自身で手入れをしたりせず、そのままの状態でお見せください。日焼けは査定額に影響しますが、作者によっては状態が良くなくても高値で買い取れる場合があります。

作家の名前が読めない新版画でも、査定してもらえますか?

はい、査定いたします。新版画には、同じ作家が版元によって別の名前で作品を出しているものもあり、署名だけでは判断できないことがあります。作家が分からないものこそ、専門家にお任せください。査定は無料です。

浮世絵と新版画がまとめて何十枚もあり、持ち運ぶのが大変です。

全国無料の出張買取をご利用ください。専門スタッフがご自宅に伺い、まとめて拝見いたします。まずは写真を送るだけのLINE査定で、おおよその内容をお知らせいただくことも可能です。

ご相談・お問い合わせはこちら
コラム運営:絵画骨董買取プロ-専門買取スタッフ
監修者
骨董品買取プロ代表 田中千秋
代表 田中千秋

骨董品や美術品は、単なる財産ではなく、受け継がれてきた「時間」と「想い」そのものです。その価値を守り、次代へつなぎ、多くの方に触れてもらうため情報発信を継続していきます。

メンバー
絵画骨董買取プロ 金子
金子

日本美術全般の鑑定・査定を得意としており、コラムだけではなく、youtubeで絵画の解説動画も発信しています。ぜひご覧ください。

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