銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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日々是好日を見て

   

JALの中で「日々是好日」を見た。

樹木希林の最後の映画のひとつ。タイトルでわかるように、「お茶」を描いたもの。黒木華演じる主人公が、気が進むでもなくなんとなく、習い始めたお茶が、案外人生にとって大事なものになっていく様子を、丁寧に描く。

個人的なことだが、私にとって映画は、人生に無くてはならないものだ。20代は「セーラー服と機関銃」「翔んだカップル」の相米慎二に憧れ、弟子になりたかったが、自主映画で挫折して人生が変わってしまった。けれども映画は、人類の智と完成の集大成として、私達の社会にとても大事な役割を演じていると思っているし、今私が飯のタネにしている美術・芸術も映画も人の心をうたう変奏曲として同様なものだと思っている。

この映画は私がたまさか踏み込んだ美術の世界と映画の世界をつないでいるようにも思える作品だ。お茶とは美術そのものでもあるからだ。

監督は「さよなら渓谷」の監督でもあるという。真木よう子主演のかなり重苦しいこの映画の監督がこんなにもコミカルで優しい映画の演出もつとめるということは、この監督の丁寧な仕事ぶりが伺えて嬉しい。「さよなら」は重いが男女の間にある性と感情の本質をあぶり出して感動的で美しかった。

ところで「日々是」は、映画好きにとっては、とても幸福な映画だと思う。美人ではないが演技派の新旧の女優、樹木希林、黒木華が師弟を演じるというのは、もうすぐ人生の幕を閉じる樹木希林が黒木に、手ずから芝居と人の心を伝える現場を見ているような気がするからだ。この二人の女優に共通するのは人間としての「品」である。芝居をうまく見せたい、受けたい、褒められたい、目立ちたい、そういうものではなくて、私が今ここにいることでどのように役に立つのか、考え抜いてさりげなく表現する心。二人の演技と茶の湯に共通する「品格」を見せることによって、この映画は、人と、芝居と、映画と、茶の湯を同時に称揚しているのだ。

そのことがしみじみ感じられて、この二人が映画の画面に収まっている、そのことだけで、映画ファンは幸せに感じられるのだ。

ところで、この映画のリアリティを増しているのは、実は家庭の描写だ。

主人公の父を演じる鶴見辰吾は、最近よくテレビドラマで「お父さん」を演じる、安定した脇役だけれども、僕の世代にとっては、相米慎二「翔んだカップル」で薬師丸ひろ子とからむ名子役の一人だ。薬師丸ひろ子、工藤夕貴、鶴見辰吾、尾美としのり、永瀬正敏、坂上忍、このあたりが相米慎二、大林宣彦、ジム・ジャームッシュなどに使われて子供のむき出しの魂や若者の鬱屈や解放を演じて僕の世代の映画ファンの共感をつかんだ人たちだ。

その鶴見がここでも静かな芝居をして、妻役の女優もフツウのお母さんを非凡に演じて、「家庭」の雰囲気をよく表している。身も蓋もなく我儘を言い合う日常の「家庭」を描くからこそ、主人公が通う「茶の湯」の静けさや味わいが生きてくる。

ところで樹木希林は個人的に美術好きでもあった。僕たちが毎年出店している「東美アートフェア」でもその姿をよく見かけた。黒系のファッションですうっとあのちょっと斜視の目で、あの東美の建物の階段を降りてくるのを見かけた。ミーハーと思われたくないので、有名人が来るとわざと身をかわしてしまう。なので一度も口をきいたことがなかった。用がなければそれでも十分だと思うけれど、どんなものを買われていたのだろう。テレビでその一部は見たけどね。美術に対する見識、教養がこの映画での彼女の説得力を増しているのは言うまでもない。見事な所作だった。映画の中の彼女より本人は無論、皮肉や直言に満ちた小気味良いババア様だったと思うけれど、それはこの茶の湯の先生のような本質を少し照れて隠してしかし本当を伝えるための日常の演技だったようにも思う。この人のインタビューを読むと隅から隅まで説得力がある。たまには毒を吐くことで正確に伝わることもあるのだ。

この映画には、派手な出来事は何ら起きない。自殺も他殺も犯罪も爆発もなにもない。だから退屈する人もいるだろう。ただつまらなく見えても実はドラマに満ちた私達一人ひとりの人生を愛して活写する映画として、そして樹木希林という日本が生んだ品の塊(意地悪の塊でもあるけどね)のたたずまいを最後に遺してくれた映画として銘記されるべきだと思う。


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