銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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歌麿という謎と富士の山

   

歌麿という存在は、杳としてつかみにくい。

つかみにくいけれど、すぐそこに見えている。
あたかも富士山のごとくである。

浮世絵といえば、歌麿。
日本といえば富士の山。

だれでもその名前を知っている。しじゅう、目にする。

しかし、富士の山、見ようと思うと、案外、見えない。
昨年の夏、私は富士五湖に二日間、旅行した。まる二日富士山のすぐそばの観光地をいくつも巡ったが、富士の姿は、ほとんど、見えない。夕刻にわずかに姿を見せただけであった。聞けば、この季節に見える可能性はとても低いそうである。
富士の山、その頂まで登ったことはないけれど、そこはゴツゴツした岩の世界であるらしい。あの優美な姿はどこにいったのか、となるという。

歌麿も似たところがある。歌麿の全てを知っている、と堂々と言える人が誰かあるだろうか。江戸中期から明治にかけての浮世絵という浮世絵を全て煮詰めた上にうっすらと浮かび上がってくる線は、歌麿であるような気がするが、歌麿自体はどこかアッケラカとして、つかみにくいところがある。

しかし、浮世絵はまさに「俗」の世界の産物だけれども、「俗」を煮詰めて煮詰めて最後に残った「気品」という芳香が「歌麿」という存在なのだろう。

一方で、北斎や、国芳、春信、芳年など、浮世絵の世界が生んだ大スター達は、もっと輪郭線がハッキリしているように思う。つまり、他の浮世絵スター達は、人を驚かせて打ちのめすような一種の暴力性と茶目っ気がある。

しかし歌麿は何か女たちの匂いを世に伝える事に集中していて何か世間を引っ掻き回す事とは無縁のような気がする。幕府は風紀上警戒していたようだが、危険視したのはお上の一人勝手で、彼には何か世間やお上をどうにかしてやろう、という、そういう性向はあまりなかったように思える。

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寛政の三美人(Wikipediaより)

価格にしても、やはり浮世絵の世界での王者でもあるが、優れた作品と凡作との差が激しい。一億しようかという綺羅摺りもあれば、状態の悪い安い凡作もあるが、どちらもレッキとした歌麿である。

なんといっても後世、歌麿の名声を不動にしたのは、春画であろう。大英博物館の春画展のキャッチに使われた「歌まくら」の革新性、美しさは論を俟たない。俗の極みであるエロ絵に、こんな高度な技術と気品が備えられるのだ、という驚きは、200年の時を経ても新鮮であり続ける。

肉筆春画のジャンルでも、やはり最も優れた仕事をした浮世絵師は歌麿であろう。贅を尽くした色と繊細な筆致は、北斎さえ追随を許さない。

しかし歌麿の主戦場はやはり浮世絵版画の世界。大首絵、すなわちバストサイズの美人画を発明したのは歌麿と言われているが、三枚続の大勢絵もあれば、もちろん全身像もあり、若い時に植物動物だけ描いた作品も有名である。何しろ、仕事量が多い。市場で見ていても、こんなのもあるのだな、と思うこともしばしばである。その度に値段の「踏み」に戸惑う。余計な事も言えば「二代歌麿」というのも居て、顔は若干違うのであるが、落款もよく似ており、紛らわしいことこの上ない。

そのすべてが、感動するほどすばらしい、というわけでもない。最高峰のものでも、何かアット驚くタメゴロー、三回転ひねり、という奇観(これは北斎国芳などには当てはまるだろう)で印象を残すのではなく、高度に磨きぬかれた繊細な宝石を見るがごとくであり、触れば壊れてしまいそうな完成度。ドキドキするような何か微細なバランスの上になりたっている。

彼の晩年は早く、はかない。秀吉政権の事を示唆した版画を書いた「程度」の事で手鎖の罪を受け、衰弱して、50そこそこで亡くなってしまう。ちょうど私くらいの歳である。冗談ではない、ひどい話だ。まだ仕事はこれからである。この当時としても、少し早いのではないか。その命のはかなさも、彼の仕事を何か茫漠たる印象にしていると思う。

遊郭の「おんな」や市井の「おんな」達の色香を伝える為に、自分をなくして線にかけた人ではなかったか、と思う。うちで女性を題材とした日本画を描いてもらっている池永康晟のことを僕は勝手に「性への殉教者」と呼んでいるけれども、歌麿も、同じ名で呼ぶべきかもしれない。すなわち、女たちの魅力さえ此世に残れば自分などどうでも良かった人ではないかと思える。だから歌麿という絵師の存在は何か曖昧な印象が残るのではないか。

歌麿は最近いちどテレビドラマ化されているけれども、歌麿を映画にするなんてのは容易でないと思う。絵描きなんてのは大島渚みたいにガーッと吠えるような商売ではない。黙って筆を運ぶのが仕事である。しかも歌麿である。どんな性格か、しゃべり方なのか、想像がつかない。このドラマでは、水谷豊が演じた。彼は熱中時代で情熱的な先生を演じて、最近はクールな刑事を演じる、なんだか曖昧な俳優であるから、キャスティングは正しかったように思うけれども、いいドラマだったかは見ていないので知らない。なにかサスペンス仕立てのようなので、アイデアとしてはよいと思う。

岡田美術館所蔵 喜多川歌麿《深川の雪》 動画

江戸庶民文化が産んた至福の芸術は、いつも何か霞がかっていて、尊い。しかし、いつも、そこにいる。富士の山のようだ、と私は一人勝手に思っているのである。

ところで、岡田美術館で、ウン十年ぶり発見された歌麿の幻の肉筆大幅が今公開中である。歌麿の全てを体感するのは、富士山登山するよりも容易でないように思うが、ここでもその手がかりが掴めるであろう。歌麿の山は自分にとっては大きいのである。歌麿の周囲をぐるりと巡るだけで、自分の人生は終わってしまうのかもしれないが、少しでも、知りたいと願うのである。

最後に宣伝もしておく。弊社所蔵、販売中の歌麿。
Shukado’s Utamaro List(English)
http://www.japanese-finearts.com/item/search/28/Utamaro

秋華洞販売中の歌麿作品 一覧(日本語)
http://jp.japanese-finearts.com/item/search/28/Utamaro?

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