銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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カズオイシグロ「浮世の画家」ドラマを観て

   

カズオイシグロ「浮世の画家」のテレビドラマ見た。きっかけはウチでの企画に登場をお願いしている二人の画家が協力していることだけれど、少しドラマの感想書いてみる。【フェースブックに載せた文章だが、クローズドなのでこちらにも書いてみる】


戦争に協力した画家が、戦後非難を受けて「反省」を余儀なくされる、というお話で、娘の縁談の相手やかつての弟子など都合三人に「卑劣極まりない人生」となじられ、アイデンティティの喪失に直面するも、世間も家族もそんな問題は何処へやら、老人は一人煩悶のままに、人生の終わりを迎えていくだろう、というお話。
明らかにフジタと横山大観の二人をモデルにしたであろう人物を渡辺謙が演じており、このドラマで怖い場面はふたつ、広末涼子演じる娘に「お前のいう通りに僕は過去を整理した」と述べるも「え?なんのこと」と目を丸くされてしまうところ、もうひとつは2001年宇宙の旅のボーマン船長のように自分が描いた絵を燃やすところを眺める場面だ。「焼く匂い」かキーワードになり、何が現実か判然としなくなる描写はタルコフスキー「ソラリス」みたいで正しくカズオイシグロぽくてなかなか良い。


けれども全体としてはドラマの流れは分かりにくく、一体どういうつもりでNHKが作っているのかわからなかったので混乱した印象を持った。
戦争に加担して、生き残った老人は若者になじられ、死んだ老人はただひたすら忘れられる。あの「硫黄島の手紙」の栗林中将を同じ渡辺謙が演じていることで、あの時代に責任ある立場で生きて、死んだものと生き残ったもの、両方の悲劇が重ね合わさって気持ちがもやもやして複雑だ。

結局、このドラマが描くのは戦争責任をめぐる水面下のひどくドロドロしたドラマで、イシグロが問題提起するのは「世間」と対峙する個人の弱さと生き様だ。

そもそも戦争責任については占領政策の苛烈さから来る日本人のアイデンティティの混乱は未だに根を張って続いており、この手の問題でつねに微妙に「偽善」や「左翼」的な立場をとるNHK制作という事実と、ふたつの「戦争」ものの主人公を同じ渡辺謙が演じた事で、何か一種の悪夢を見たような気分にさせられた。

こういう訳の分からん曖昧さでこの時代を描けるのはイシグロが「外国人」だからだろうし、もう少し率直にこの時代を描くにはまだ日本人の頭が整理されていないのかもしれない。

1時間半は少し短い。三時間くらいで見たかった。

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