銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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中国書画、斉白石、呉昌碩

      2016/07/09

今はヨノナカが節目というか、民主党という「無政府状態」で国が漂流しつつ、経済の主軸が変化しつつあって、美術の世界も当然ながらジッとしていれば自滅していく方向である。

国の制度の問題は勿論あって、欧米では企業が利益の数パーセントを美術を買うのにあてなければいけない、とか、中国では美術品の購入が法人の「損金」と扱える(このふたつとも伝聞なのでニュースソースを確認していない。正確な情報は確認できればもう一度書きます)など、美術流通、保存が確率する文化政策を施しているなどの事はあるけれど、それにしても日本の美術マーケットは極端に小さい。「世界第三位の経済大国」だが、たぶんGDP比で美術マーケットをランキングすると、アメリカの100分の一、中国の1000分の一くらいではないか(これも数字を拾っていない。)。

さて、そういう事で、中国の経済は何故か好調を維持し、ますます中国美術のニーズは高まっていて、私どもにも引き合いが多いので、品物を探している。このニーズはいつ止まるのか不透明なのが恐ろしいところであるが、経済規模に比べてマーケットが大きいのは、おそらく税制の問題もあるのだろう。ただ、私の知る限り、案外本当に古い時代の美術・骨董よりも、この400年程度すなわち明清の美術が好きなようだ。ある程度数があるのと、わかりやすさなのだろうか。このあたりの事情はよくわからない。

日本では江戸期以前より「中国」文化に対する知識人の敬意たるや今の比ではなく、英語ができなくても、漢文が読めない知識人はいなかった。ちょうど両方の知識があったのが明治の文化人、たとえば夏目漱石であるが、彼が南画を描いたように、戦後しばらくまで、「南画」「文人画」に対するニーズは大きかった。父も山ほど中国書画を扱った。流通量の多いのは、呉昌碩斉白石、王一亭の三者であろう。かつてはたいした価格ではなかった。小室翠雲や松林桂月となんら変わりがない。だが今はものによっては10倍以上になってしまったものもある。

中国書画に対する敬意とニーズが戦前とくに強かったことは、田中一村の先日の展覧会でもうかがえる。彼の20代の作品は、呉昌碩そのものである。字があまりにソックリなのには、彼の律儀な性格がにじみ出ているが、その後「自分の美術」をつかむまでの苦労を思うと本当は泣けてしまう器用さである。

今中国の人たちが中国美術をほしがるのは、投機のため、節税のためも勿論あるだろうが、文化大革命などで断ち切られた自分たちの「歴史」やアイデンティティーを取り戻す素直な運動である面もあるのだろう。日本人はかつて珍重したものだが、今日本にとっての憧れは中国でもなく、西洋でもなく、軸を喪ってしまった。

今は中国美術を日本人から買わなければいけない時代である。しかし日本人ももっとこれから海外に出て行かなければいけない時代がすぐそこまで来ている。忘れていた自分たちの文化を「買い戻す」機運もまた高まるかもしれない。今は他国のほうが、かえって日本の文化を大事にしてくれているような時代だ。けれども根無し草では、生きていけない事に気がつく時がくるであろう。世界から日本美術を買って、日本人に売る、そういう時代が人生の後半に来ると信じたい。

そういうわけで、斉白石や、呉昌碩の買取を一生懸命やっています。

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