銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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日本国と国民と美術

   

今日はお店に元大手オークション会社代表の方が(今は美術商をされています)見えました。高校の先輩に当たる方で、最近親しくさせて頂いております。

 

さて、その方は、現代アートを日本に根付かせることを目指して運動されています。

 

アメリカでは、数十年前に、政府と、企業が手を携えて、現代アートのための美術館を作ったり、企業がマーケットよりも高く作品を買い上げて、芸家を支援したそうです。

 

その結果、芸術家が育ち、企業が買い上げた作品をマーケットに手放しても0が二つ増える額になっていて、企業としても、採算が合う、という一石二鳥の結果を得たそうです。

 

なぜ、それが日本では出来ないのだ、とその方は嘆いておられます。そして、そのことがやりたいと、考えておられるように見えました。

 

ヨーロッパでは、建築物を申請するとき、かならず数パーセントの予算を

「アート」に注がなければならないという法律があると聞きます。

 

ところが、日本では「アート」あるいは「芸術」が一部の人のものになってしまっていて、政府や企業が「芸術」を支援しようなどとは露程も思っていない。その背景として、政府というより、国民のごくふつうの興味として芸術が入ってこない。

 

その方の理論としては、明治維新以降、富国強兵・産業振興で駄目になったそうです。私はどちらかといえば、敗戦の焼け野原と財閥解体の原因を思いました。

 

いずれにしても、バブル崩壊で、これが曲がり角で、「お金」でなくて、文化、芸術に人の関心が向かうべき時が来ている、とのことでありました。

 

私自身は、実は「アート」という言葉自体があまりスキではなくて(自分の法人名に使っておいて、何を言っているんだ、とも思いますけれど)、美術という翻訳語(fine art の訳語といほうが正確でしょうか。)の方を使いたいのですが、というのも、何かいのちを燃え立たすようなエネルギーとか、崇高なるものへの憧れ、というものを、引き算した地帯に、「アート」と日本で呼ばれるものがあるような気がするからですってなんかもってまわった言い方ですが。

 

人生の悦びは、金も大事だけど、金があるにしても、それで、じゃあ何を求めるのが素敵なのか、というような美学、金がないにしても、いいものを知っている喜び。

 

それは絵画じゃなくて映画や文学でもいいのだけれど、そこにお金も回ってくるようにする、そういうことをやるのはなかなか面白いんじゃないの、と私は思うのでした。

 - 美術の世界あれこれ