高村光雲の作品を高価買取いたします
江戸下谷(現台東区)に町人の子として生まれる。1863年に仏師高村東雲に入門、その後、東雲の姉の養子となり、高村姓を継ぐ。明治維新後、牙彫の流行が続く中で木彫を貫き、そこに写実主義を取り入れた。1877年内国勧業博覧会で最高賞を受賞。1889年からは東京美術学校の彫刻科で指導し、後進の指導に力を入れた。門下に山崎朝雲、米原雲海、平櫛田中がいる。1919年帝国美術院会員。代表作にシカゴ万博に出品した老猿(東京国立博物館蔵;重要文化財)、西郷隆盛像(上野恩賜公園)などがある。彫刻家・詩人の高村光太郎は息子。
作家紹介
高村光雲は幕末明治の動乱期を生きた木彫家・彫刻家です。江戸の町人の子に生まれ、仏師・高村東雲に木彫を習い、第1回内国勧業博覧会に出品した《白衣観音》で一等竜紋賞を受賞します。しかし廃仏毀釈のあおりを受け仏師としての生活は厳しく、さらに木彫も衰退期にありました。
そのような逆境のなかで、もとより欧米からの石版画や新聞挿絵などに惹かれていた光雲は、従来の木彫とは異なる表現を模索し、西洋絵画のような実物に即した写生を探求していきます。卓越した技術と写生に基づいた実在性を備えた光雲は、明治期の木彫に新たな風を吹き込み、1889年(明治29年)からは岡倉天心の依頼で東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科の教官を務め、その他文展の審査員なども歴任しました。教え子の山崎朝雲や平櫛田中らは近代日本彫刻の重鎮として活躍します。
光雲の代表作として、1893(明治26年)のシカゴ万国博覧会に出品され優等賞を受賞した《老猿》があります。本作は「その後の明治前半期における日本の伝統的木彫の進路を方向づけた作品」として現在では重要文化財に指定されています。
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