銀座の画廊で働く社長ブログ

秋華洞の社長、田中千秋オフィシャルブログ。 近代絵画・古美術を扱う美術商。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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香港来てます

      2016/05/11

所用あり香港に来ました。今回サザビーズのオークションが開かれてるので見学。フジタの超銘品が出品されてるのに驚き。大きな大きなサイズのヌードに猫。最高の作品と言っていいのではないでしょうか。値段も最高。四億位かな。ワールドレコードかもしれない。

面相筆の細い線でかたどった女性の裸体にフジタの執念を感じさせました。こんな作品、どこに眠っていたのだろう。歴史に残るお品物ではないかなと思います。 
今回のオークションでは、いくつか特集が組まれていて、それは大変興味深いものでした。
そのひとつが、「アジアから世界へ」という特集。
井上有一・森田子龍などのいわゆる前衛書道や<具体>運動などが有機的に絡み合い、日本と欧米の交流がその後の世界のコンテンポラリーの潮流に影響を及ぼしたことをひとつのオークション特集としてアレンジしていました。欧米からの影響で日本やアジアの美術が動いてきたイメージはありますが実は日本から世界へ、世界からアジアへ、と広がってきた現代美術の流れを見直すキッカケとなるセールでした。トップロットの森田がトッブなのも値段がよく付いていたのも偶然ではないのでしょう、象徴的でした。
サザビーズの若い美しい社員が熱心に案内してくれましたが、大事なことは見せ方にこだわること。欧米のオークション会社というと、巨大資本の合理性みたいなイメージで、もう訳の分からない怪物のような感じもありますが、現場で働いているのはひとりひとりの若い意思であって、彼らの情熱がこういう場を作っているということ。その努力というものは美術館であろうと、画廊であろうと、オークションであろうと、変わりはしないということ。無論、よい作品を集めて売るには相応の資本力が要りますが、なくてやれることもあるし、あったらあったでそれを活かして仕事をしないといけない。制約があるのはどの現場も同じです。今回は白髪や吉原治良はもちろん、サム・フランシスや勅使河原、山口長男、蔡國強などが同じ部屋に並び、美術って何かな、人の影響って何かな、個性とは何かな、と漠然にも真剣にも考えられる空間とセールになっていました。
それにしても、飛び散った絵の具の塊が盛り上がり固まった白髪の画面を見ていて思うのは、美術が「偶然」というものを積極的に取り入れてきた戦後美術のあり方。日本では「たらし込み」という水溶性絵の具を混ぜあわせることや、「文人画」の一種のヘタウマが「偶然性」あるいは「自然性」というものを絵画に取り入れることを意識的・無意識的に行ってきましたが、白髪や井上、蔡國強のやっている絵の具剤の「飛び散り」とはなんだろう、これは一種のドデカイ「コックリさん」だな、となんとなく思ったり。安普請のホテルに泊まって天井のシミがお化けに見えてくる、なんてことがよくあるわけですが、この壁のシミと「美術」の境界線はどこにあるのかなんて思ってたりすると、まさに高価な「壁のシミ」ともいえるフランスと中国の奇岩が多数同じオークション特集の「LITERATI CURIOSITY」に多数出品されているのを見ると、まさに何も違いはないよと言われているようで、ニンゲンの領域とはなんだろう、お金とはなんだろう、と考えさせられます。


一方で、極力「偶然」というものを排除して、工芸的に究極を追い求める並河や池永、森本草介のようなコントロール組?が日本では今は人気を集めているわけで、もし宅配便で届いたら送り返すと山下さんが書いていた「ロスコ」なんてのは偶然と必然の間にある神の領域を感じさせるサイズも価格もドデカイ四角い虹なわけですがこれをどう見るかなど興味はつきません。
東京画廊の山本さんによると「使用価値」のないものほど「交換価値」が高まる、というお金の法則があるらしいのですが、その法則によれば巨大なる壁のシミ軍の方が日本的究極工芸チームよりも「有利」ともいえて、美術市場においてピカソの方がルノワールより高いぞ、ということにも説明がつくわけですが、そういえば釉薬と焼きあがりの偶然性や時にはひび割れさえも「景色」として楽しんでしまう侘び寂び的な茶道の価値観もからんでくるようで、さて美術には果てしがないと思うわけです。


これから人工知能が美術に参入するなんて話もあるわけで、偶然性も得意なコンピューターが入ってきたら嫌だな、と思いますがこの辺りはどうなるんですかね。
ちょっと内容が辛酸なめ子みたいになってきたのでこの辺で。

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