銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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服装バトルその2

   

で、服装の話の続き。

ホリエモンのブログのコメント欄を読んでいると、
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10458937466.html#cbox
彼の批判する「服装原理主義」について議論が百家争鳴なのだが、
少しこの議論には飽きてきた。

服装はどうでもよくない。自由ではない。と、私は思っている。これは当然のことだが、堀江さんがこのことを理解できないのは、ようするに彼への「しつけ」の問題なのかな、と思っていたら、彼の記事を読むと、非常に子供時代に服装を押しつけられて窮屈な思いをして、オトナになって解放された、と感じているようだ。だから、親が「押しつければ」よいという問題でもなさそうだ。

周囲の人を見ると、多くの人はまさにTPOで使い分けていて、普段ラフな格好しかしていない商売人も、案外スーツで決めている場合もあり、柔軟であって、論争などするべき相手もいない。(会田誠の絵にあるような)「背広族 VS ラフ族」という二項対立の議論をここではしようと思っていたのだけど、実際、多くの人は使い分けているだけだろうから、頭の中だけでの対立を言い立てても仕方がない気もしてきた。

ただ、服装というのは、相手にメッセージを伝えているのだ、という事実を実際感じていないとするならば、まあ非常に損をすると思うのだが、はなから無視をしている人は、はなから世間の「常識」を無視することに、無意識に参加しているか、意識的に「反抗」「対抗」しているのだろうから、それはそれで勝手である。

しかし勝手といえども、私に関係してくる人に関して、自分もやはり選別をしている。

ウチの仕事の関係者で営業してきた人がいるのだけど、その人はいつもとってもラフでカゲキな格好をして会社に現れた。言葉遣いはとても丁寧なのだが、正直言って、違和感を感じ続けた。たぶん同じ能力がある人が二人いたら仕事をお願いしないだろう。やはり軽視されている印象を持つからだ。

美容院の男店員もチャラチャラしているヤツが多くて嫌いである。男でも美容院に行く人が多いが、どうもあの文化にはなじめない。男店員がきちんとした服装をしている美容院があると、きっと男客が増えると思うのだが、どうだろうか?

テレビのディレクター、と称する連中も嫌いである。金髪で、ひげを生やして、ジャンパーかなんかで来る。日テレやらなんやらの名刺を出す。メジャーなテレビの名刺を出せば誰でもにこやかに応対するとでも思っているのだろうか。なめんじゃねえよと思う。

ま、それは私の個人的な感じ方だが、相手になんらかの「気持ち」を与えていることは知っていても良いことではないか。

言葉遣いでも、いきなり知らないニンゲンに「おまえ」と呼ばれタメグチを叩かれれば誰でも不愉快になると思うのだが、服装にもTPOによってはそういうメッセージを発する場合がある、という事だと思うのだ。

ボクは服装が自由な学校に居たことしかないので、服装を「強制」された経験がなく、ある種の「制服」をつけることには変身できる「楽しさ」はあっても「窮屈」とは感じたことがない。ガクランなんか、とある「ぴあPFFアワード」映画にエキストラで出たときに、着せてもらったのが最初で最後である。スーツでは、ネクタイが苦しい、というのも正直理解できない。(理解できない、というのは実感がない、という意味である。窮屈と思う人がいるのは「想像」できる。)首が細いせいかもしれないが。TPOによって服装を変えるのは、きちんとしたり、ラフにしたり、おしゃれを楽しんだり、本来楽しいことだろう。

私どもでお世話になっている書道の先生(女性)は、いつもとても素敵なスーツをお召しになっていて、とても若々しい。思いやりを持つことにも通じる「服装」を軽視はできないとボクは思うのだけどね。

 - 世間の出来事

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