比田井天来を
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書家。長野県北佐久郡協和村片倉(現:佐久市協和)出身。名は象之。通称は鴻。雅号は天来、別号に画沙、大朴。巌谷一六、日下部鳴鶴に師事。碑版法帖に深い造詣をもち、古典臨書の新分野を開拓し、「現代書道の父」と呼ばれる。昭和12年大日本書道院創立。帝国芸術院会員。
書家紹介
比田井天来は、独学で書をはじめ、20代の頃に「近代書道の父」といわれる日下部鳴鶴に師事します。
中国の古典を研究している中で「俯仰法」という筆遣いを発見し、正しい古典の書法の理解に貢献しました。
古法帖や古碑版の臨書をまとめた『学書筌蹄』を刊行し、そこに掲載された新しい筆法は書道界に衝撃を与え、近代書道の発展を促すこととなります。
同時代の書家である松本芳翠が、天来没後の追悼文のなかで「先生ほど晩年に至るまで縷々その書風の変化した人は少ないであろう。」と述べた通り、天来は新たな書法の追究をやめることはありませんでした。
1937年には、大日本書道院を創立し、同年に帝国芸術院の会員に推挙されます。
比田井天来は、古典の書の探求と新たな筆法の発見に人生を捧げた人物といえるでしょう。
現代へとつながる比田井天来の精神
比田井天来は上田桑鳩や金子鷗亭ら現代書家たちの良き指導者となり、のちに「現代書道の父」と呼ばれるようになりました。
1930年、天来は東京.渋谷に書道院を設立し、そこには天来を慕う書家たちが集いました。
しかし、天来は教えを請う書家たちに手本を与えることはなく、古典の臨書を勧めました。むしろ、自らの書風を真似されることを極端に嫌っていたようです。
天来の弟子の一人である上田桑鳩は、かつて天来に「古典研究に際しても、筆意を読めと訓され」たと振り返っており、そこに天来の教育方針が伺えます。
つまり、天来はただ古典や師の写しで満足せず、書の本質を見極める力をつけるようにしてほしいと考えていたのでしょう。
この天来の教えは門人たちに受け継がれ、前衛書や少数字書など現代の新たな書のジャンルが切り拓かれる土台をつくったのです。
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