銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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商品としての村山槐多

   

村山槐多には、縁がある。

幾度か、相談を受けた。すべての商談がうまくいったわけではない。むしろ、難しかった。

カイタの絵といえば、太い色線に荒削りの描写が鮮烈で心地よく、美術史の本を読んでいると強烈に脳裏に残る。

だが、売り物は少ない。当然のことだ。かれは若干22歳で亡くなった。この年令で亡くなって美術史に名前が残るということは奇跡に近い。この「奇跡」は日本美術史上に3人にいる。すなわち、村山槐多、青木繁、関根正二だ。

世間ではなにかモノが出てくると何年ぶりに新発見、などと騒ぐが、実は、貴重なれども水面下で動くことは有る。当然、美術商は必要以上に騒がない。騒ぐのは別の人の仕事だ。

希少な作品が出てきたとしても、画家のイメージ通りのものは、少ない。それは「夭折」の定義を少々広げて、菱田春草、速水御舟や、松本竣介など30代、40代で亡くなった画家たちを含めてもそうだ。だから、カイタに関しても、あの、村山槐多らしい、鮮烈な色で埋め尽くされた絵画がそう、あるかといえば、ない。資料的なものが多い。

コレクターズアイテムではあるが、実はコレクター自体も希少である。友人の一人にそれにあたる人がいるが、資料は資料としての値段をつけないといけないので、なかなか折り合わぬことも有る。

さて、品物が少ないだけに、鑑定は難しい。いいものか悪いものか、簡単に結論を得ることは難しい。値段だってそうだ。「鑑定団」的に、XX千万です!なんて尤もらしくいうのは簡単だが、果たしてその値段で「売ってくれる人」「買ってくれる人」がそれぞれ一名以上はいないとなんの取引も成り立たない。よく美術品の値段は「あってないようなもの」という人が有るが、それは嘘だ。売る人も、買う人も、価格は真剣だ。美術の値段がないのなら、ポッキーの値段も、ベンツの値段も、ない。「ない」というのは、その人の脳内マップに美術の「価格マップ」がないだけだ。

変な話になった。今日はここまで。

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