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PC090001.jpg阿部清子の個展は残すところ、あと二日となりました。毎回、作品が良くなってきていると思います。大作含め、数点をご注文いただきました。作家は強も明日もおりますので、是非御来廊下さい。
個展の様子を以下のリンクに公開しています。

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Shinran and Abe Kiyoko

This catalog features two artists we are promoting as the 30th memorial issue. Especially, Abe Kiyoko holds her solo viewing at our gallery at the same time as this catalog’s issue.

The title of the exhibition is “Reisei Dojo (literally, Spiritual Training Hall)”.

When I heard this title, I thought like “That’s it!”. Yes, the life is truly a training hall.

Currently, Tokyo National Museum has held the special exhibition, Honen and Shinran. Shinran was a monk and entered Mt.Hiei so as to find an answer to a question growing in his mind since his childhood. However, not only he could not attain spiritual enlightenment, but also he was disappointed at the vulgarity, which spread even in the sacred land, so he descended the mountain to search the answer in the common people’s world.

I suppose Shinran was an inquisitive person much more than any others. He could have been thinking of the meaning of the life, the reason of people’s pain, what people really want, and the way to save people.

It might be a risky, selfish, and stupid thing to become a monk, beggar, or artist. Yet, it should be also true that who saved common people’s mind was those inquisitive people or people who question deeply.

If you consider your life is the training place of your spirit, you could accept or enjoy any troubles.

Actually, I am being involved in a trouble, which puts me in front of some giant enemy. Although they have adopted “Benefit” and “Moral” as their slogan, in reality they seem to push his rivals away in contrast to their motto. My job sometimes puts me in the situation where I need to face a giant unreasonable hypocrisy.

But, today, our lives could not be taken away so easily just because of such a reason. Anything could be acceptable if you think it is the training.

By the way, I read this morning a newspaper article on one of the terrorists from Aum Shinrikyo was sentenced to death. The reason why they turned to be a mass of fierce hypocrites could be deeply related to the decrease in Japanese people’s mental power struggling to ask on what the life is.

A wonderful art or life might be able to save someone or the world, even though it might take some hundred million years. It’s my belief and wish. 

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親鸞と阿部清子

今回のカタログは30号記念として、私どもで推している二人の若手日本画家・池永康晟と、阿部清子に登場してもらいました。そしてこのカタログが発行されるであろうクリスマスの時期、弊社画廊で阿部清子の個展が開かれます(2011/12/9(金)−17(土))。

その個展の名は、「霊性道場」。http://www.honen-shinran.com/

この題を聞いた時、ああ、と心の中の様々がピタリと合わさるような思いがしました。この世は魂の道場。私もそう思います。彼女がそう考えていることも、気づいていました。

時同じくして、現在、東京国立博物館では法然と親鸞の展覧会が行われています。念仏への帰依で知られる親鸞ですが、五木寛之の小説「親鸞」によれば、親鸞は幼少の頃より抱いた自分自身の心の有り様への疑問を解くために、比叡山に入ります。しかしそこでは悟りを得られず、むしろ聖地にはびこる権謀術数うずまく俗なる匂いに絶望さえして、山を降り野の「聖(ひじり)」として、俗世に生きる民のなかで道を探る事をえらびます。

私は、親鸞は人の何倍も欲の強い人間だったと思います。生きる事とはなんだろう、人は何故苦しむのだろう、心は本当は何を求めているのだろう、救われるとはどういう意味だろう。本当の道をどうしても知りたい。幼い弟たちと生き別れになったとしても知りたい。

仏門に入り乞食になる事も、芸術家になる事も、同様に愚かで、自分勝手で、リスクの高い事だと思います。しかし一方で、欲の深い人間、あるいは深く「問う」人たちが、私たち俗人の心を助けてきた。深く何度でも問い、そこから湧き出てくるつぶやき、あるいは叫びのようなものが、私たちの日常の心を救ってきた。(そういえばAppleのスティーブ・ジョブズも"Stay foolish(愚かであれ)"と言っていましたが)。それが、美術、芸術・あるいは「念仏」なのではないでしょうか。

私たち自身も、この世は今生の魂の修行の場と考えると、多少面倒なことでも楽しめる事があるように思います。

奇しくも今私自身、いささか面倒な事に巻き込まれて、ある巨大な資本と闘う羽目にあっています。その「敵」は世間に「倫理」を説くことを標榜していますが、一方で冷徹な論理で人を押しのけて来た方のようです。仕事をしていると、どうしても世間の理不尽と向き合わざるを得ない場面が出てきますね。しかし幸か不幸か、現代はそう簡単に命までは取られない。どんな事でも修行と思えば、極めて興味深い日々です。

そういえば、たまたま今朝の新聞では、例の「オウム」容疑者の最後のひとりの死刑が確定したニュースを読みました。彼らがロボットのような最悪の偽善者に化けてしまったのは、戦後日本が、人生の意味を問う力を弱めてしまった事と深く関係していると思います。芸術・文学や宗教哲学、国家観などの衰弱が、彼らのようなエラー細胞(癌)の拡大を許してしまった、と考える事が出来るでしょう。

優れた芸術は、心を救う。そして世界を救う、かもしれない。何百年かかるのかは知らないが。しかし私は、そう心密かに強く、念じています。

 

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あまりにこちらの「丁稚ログ」の更新をしていないので、イケナイと思いつつ日が経っている。
実はFacebookでは、かなり頻繁に更新しており、こちらの方がやや突っ込んだことが書けるので、ついブログがお留守になっている。

題名ももう、会社が十年近くなるなかで、「丁稚ログ」というのもよくないかもしれない。しかしまだ自分がハンパ人間であることを識るためには必要な題名か。だが、対外的には意味がわからないかもしれない。社長ログ、ではありきたりでつまんないが。

10月は冒頭に実はアジアの某国に視察兼営業に行っていた。今後日本の文物を世界のマーケットに紹介して行くにはどうするべきか、考える旅である。心の中に定まったものはまだない。が、日本の古来の表現から、現代の表現まで、どのように流通させるべきか、もう少しイメージを固めていきたい。

一方で、不幸が二つあった。昨年来知り合ったゴルフ、アンド、猥談仲間?の二〇才も先輩の男性が亡くなった。春先に末期ガンの宣告を受けたが、恐るべき元気振りで、秋まで来て安心しきっていたが、彼も私も忙しくしているウチに、突如10月に入院、即刻亡くなってしまった。

さびしい上に、たぶん多くの人が影響を受ける事であろう。なにしろ、明るく、見識深く、影響力大の人であったので。

もう一人は、伯父である。思文閣の二代目社長、田中周二がつい先日、亡くなった。今の思文閣の田中大ハンカチ王子の父上である。戦後美術史および古書史上最大にパワフルな商人あった事はたぶん、多くの人が認める事であろう。にもかかわらず、あまりその事に触れた書籍がないのは、趣味人やロマンの人というよりは、商売そのものに燃え上がった人であったので、ルポが書きにくかったのか。

じぶんでいうのもオカシイのだが、うちの親も伯父も共通して言える田中の血の特徴は、なにか茫洋とした純情さで貫かれていることであろう。その特徴は、骨董屋・古書店としての知的な風貌、あるいは商人にアリガチな計算高さ、いうよりは、単純に家族を食べさせる、従業員を食べさせる、事業欲の思うままに突き進む、その一心の強さではないか。

その一種の純粋さに呆れる人もあれば、共感する人もいるのかもしれない。そのエネルギーは敵もつくったかもしれない。京都の親戚たちと私は、たぶん少し発想が違うところもあるだろうが、何か共通の一種の家族主義・共同体主義のようなところは似ているのかも知れない。芸術家や趣味人に本来あるべきなのかもしれない、孤高の面持ちとはいささか遠く離れたところに、心がある。

私は居合わせなかった(東京に帰らねばならなかった)のだが、葬儀の夜のプライベートパーティは社員一同、大泣きだったという。厳しく恐い大オヤジだった、会長の生前を思い出すと、反発するときも多かったろうが、圧倒的な純情の大きさに、涙むせぶもの、空白の大きさにハタと気がつく瞬間が爆発したのであろう。父が居合わせなかったのだが、もしいたら、心が動きすぎて、すこし疲れてしまったかも知れない。だが、そうであったとしても、何か心の清浄作用が働いたかも知れない、と思う。子のブログには書くけれど、父とは、あまりそういう話しは、しない。いつか思い出したら、するのかもしれない。これはプライベートな事なので、書かないで欲しい、と言われれば、消す。でも、こういう感傷的な事も、書く人間がたまにいてもよいのではないか。

あと付け加えれば、ひどい横領事件が業界の一部をおそった。その遠因の一角に、金融業の人たちがいることがわかっている。倫理観なき商売を彼らが強行するとすれば、恐ろしいことである。そのうちのひとりは、世の中に道徳観を説く仕事さえしている人である。この世の心の闇、偽善の闇が恐ろしいが、今はその闇の底をのぞき込み、とりのぞく作業を続けていることろである。

今、五木寛之の『親鸞』を読み始めた。上下巻になっていて、半分を読み終えた。何度、読みながら、泣いたかわからない。心の中で、むせび泣いた。どうして人は苦しみながら生きるのだろう、どうしたら救われるのだろう。その親鸞という「少年」「青年」の問いは、根源的で、率直で、共感せずにはおられない。こんなにわかりやすくて、感動的な書物だと気がつかなかった。私は日常、ほぼ楽しいので、「苦しく」はない。現代社会は平安の世に比べれば恵まれている。だが、親鸞の悩みが解決されたかといえば、いまだに人間は進化などしていない。ひとりひとりの人間がもう一度彼の悩みを形を変えて、悩み繰り返さなければ、ひとりの人生の充実はないのだ。

大冒険活劇になっている五木寛之の『親鸞』は、さすがた。ワクワク面白くて、なおかつ、生きること、すなわち煩悩と修羅を生きることの意味、を問うている。こういう根源的エンターテイメントを私も少しは作って行きたい、な。

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映画『ぼくたちは見た』を、渋谷ユーロスペースと同じビルにあるオーディトリウムというところに子供を連れて見に行く。
思った以上にいい映画だった。何故いいか。
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親を目の前で殺された少年や少女の日常や、インタビューを中心として構成されているのだが、彼らの表情があまりに美しいからだ。

ガザ地区へのイスラエルの爆撃は、二〇〇九年すでに報道されているので、画像や動画で殆どの人が見ていると思う。自分もみた。あーひどいな、可哀想にな。

くらいのことは思ったと思う。

しかしこの映画に登場する少年の聡明さ、少女の氷のように冷たい怒りの様が心を打つ。
子供に焦点をあてたのは本当に正解であった。

大人は「どうだ、見てくれ、ひどいだろう!」という調子で主張するので、我々は自社製品をしきりに勧める営業マンよろしく、少し引いてみてしまう。

しかし、この映画に出て来る少年、少女は違う。イスラエル兵の殺戮は、彼らの成長過程で起こったことで、彼らの心の歴史になまなましく突き刺さったままである。比喩でなく、少年の身体にはまだ銃撃の弾が残ったままであり、破壊された家屋には、父、兄、自分の血がこびりついたままである。しかし、彼らは声高に叫ぶわけではない。起きたことを全身で受け止めて、受け止められない事実に、耐えられないのに、耐えながら、静かに語るのみである。

笑顔で戦場を飛び回る彼の表情はまさに愛らしく、屈託がない。その彼が、カメラに向かって、何が起きたのか、いかにして彼の家族が殺されたのかを一生懸命に説明する。なるべく、何事でもないように表情は明るく、殺戮の日を語る少年。しかし、ずっと彼の日常を追っていくと、彼はカメラを通して、世界にこの事実を伝えるための使命感をもって、冷静に感情を抑えて、説明していたことがわかってくる。フトした瞬間に涙を我慢する表情を見せる。

もうひとり、印象に残る少女は、愛想がいい。カメラに向かって、無邪気に微笑む。イスラエル兵の真似をして、顔を迷彩色に塗り、妹たちを怖がらせる。愚かな行為に大人はやめさせる。しかし彼女は決意している。決して、忘れない。なんのために、忘れないかは、言わない。しかし、忘れては、いけない、ということを決意している。忘れようと思ってもきっと忘れられないに違いないが、そのうえに、忘れない、と決意している。

なぜ、そんなことが起こったのか、彼女にできることは何なのか、考えるために、たぶん彼女はそうしていたことがわかってくる。カメラが数ヶ月にわたって、彼らを追っていくうちに見えてくることだ。

彼女は無邪気に笑っているように見えたが、妹は言う。彼女は、あの殺戮いらい、笑ったことがない。心から、笑ったことがなくなってしまったことに、家族は気がついている。
カメラは彼女に聞く。
「最後に笑ったのはいつ?」
彼女は答える。
「・・・わたしは、笑わない。」
彼女は心から笑えない、と同時に、「笑わない」事を選び取っている。彼女の笑顔は、やはり、カメラと観客の我々に向けられた「気遣い」であったのだ。

数ヶ月後の撮影で、彼女は何故かそれまで着ていなかったブルカを着ている。そしてコーランを熱心に読む。彼女は言う。
「イスラエル兵が一番いやがることをするのだ。武器より強いことをするのだ。」

こどもたちの、生きる、生ききる決意に私たちは感動させられる。

世界に忘れ去られても、自分たちはここで生きていく。そして世界に忘れさせない事ができるなら、それもやっていく。「復讐」を口にする人間はこの映画では誰も出てこない。子供達のみならず、肉親を殺された大人達も、「復讐」を決意するものは誰も居ない。カメラの側の意志もあるのかもしれないが、彼らの誰もが「安易」な答えを用意していないからだろう。しかし、彼らにあるのは「何故?」である。

何故、罪もない人間が殺されなければいけなかったのか。いくら問うてもわからない。私たちにもわからない。

この映画の後半で、ひとびとは復興に向けて、動き始めている。畑を耕し、生活を取り戻そうとしている。私たちは祈る。もう二度と彼らを殺しに行かないでくれ、イスラエルよ。
そして何故、殺す?彼らとの疑問を共有する。
何故、殺すのか?

そして、放り出される。そのあと、どうするかは、観客の側の問題だ。

この映画の監督の古居みずえ氏が挨拶に来ていて、同名の本を買い、サインをしてもらう。オリーブの木のイラスト入りであった。子供連れで来るとさらに、この映画に出て来る「オリーブ」から作った石けんをプレゼントしてくれる。」

午後は、「HIROSHIMA ひろしま」をユーロスペースで見た。
こちらも力作である。しかし、おそらくガザ地区の映画にお客を呼ぶのがたぶん大変だろうことと同じ理由で、上映はあまりされてこなかったらしい映画だ。

ようするに、「イスラエル」と「アメリカ」という戦勝国に気を遣って、お金と人を集めるが大変なのだ。

実写でなく、フィクションであるので、先の「こどもたちはみた」と比べてしまうと、幾分迫力には欠けるが、しかし、戦争が終わってわずか七年程度でこのような告発映画を作るエネルギーがあったことは驚きである。今作る「反戦」映画のうす甘さとは無縁の、強い怒りのエネルギーと理性、そして当時の風俗の再現、何よりも当時の「肉体」を表現できている、という意味では戦争映画としてこの時代しか作り得ないパワーがある。

この二本の映画、本当は見せるべきはアメリカ人だと思うのだが、たぶん、大規模にやることは難しい。こんな映画を見ようというアメリカ人はそうとうに知的レベルが高く、しかも自国内で村八分になることを耐えうる人だけであろう。「戦争」映画の扱いの難しさが強く横たわる。それを考えると「硫黄島」二部作を作り得たイーストウッドのなんと偉いことだろう。

さしあたって、この二本の映画は、イーストウッドとスピルバーグには見ておいて欲しい。彼らの良識とエネルギーで翻案されたとき、何かが産まれるかも知れない。

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 諏訪美術館というところに、単身一泊一人旅。
 開催中の諏訪敦展を見に行った。
 打ちのめされ、魅了された。

 
 今まで、諏訪敦という作家のことを殆どわかっていなかったことに気づく。
 
 
 舞踏家の大野一雄のベッドに横たわる老いたさまの克明な描写も見たことがあるし、骸骨を手にするヌード女性の作品も見たことがあった。しかし、描写力に意味を持たせる事に苦労している、という程度にしか見れていなかった。
 
 しかし、成山画廊さんでの展示に続き、今回、諏訪美術館のBGM付の二階の会場を一回りして、この作家の強固な構想力が感じられて、何もわかっていなかったことに気づく。そして、最後に見た一枚、あのNHK日曜美術館でも取り上げられた、なくなったお嬢さんをご両親の依頼で描いた肖像。これには打ちのめされ、涙が出てきた。図録にも載っているし、たぶんネットでも探せば出て来るかも知れないが、そこにたたずむ「絵」の力を思い知らされる瞬間であった。
 
 諏訪敦という人は、なんと優しい人であろう、と思った。昔の名前のない仏師が、署名なしに仏様や曼荼羅を描いたように、その作品には諏訪の自己主張よりも、亡くなった女性が、むこうの世界からただいま語りかけてきていることをただただ実感させるものであった。文字盤のない腕時計をこちらに見せて、ほんのわずか、微笑んでいる。光が、彼女の姿からあふれ出ている。10,000年経って、諏訪の名前も、美術史も、なにもかもが地層の下に沈んでも、掘り出されたこの絵が、なおも光芒を放つだろう、と思わせる力があった。
 
 諏訪はこのご両親の依頼に完璧に応えて、おそらく望んだ以上の仕事をしてのけた。そのプロセスも、非常に迂遠に思える手続きを踏んでいる。女性の両親のデッサン、腕の表現の為に、義手のメーカーさんにありうべき腕の再現を頼む。
 
 彼の絵画制作手法は、映画のシナリオ作りに似ていると思った。伊丹十三がよく、実録もの(マルサの女とか)の映画を作ったが、彼もまた、徹底的に取材を積み重ねて、シナリオを編んだ。絵画作品の場合、そこまでする必要があるのか、それは儀式ではないのか、とも思えるが、たとえ実は儀式であったとしても、卑近な例であるが、ゴルフスイングにプレショットルーティンが必要なように、絶対に彼にとって必要なプロセスなのであろう。別の言葉でいえば、こうした儀式を執り行うために、絵をアウトプットとして用意しているのかも知れない。人間の生、に近づく事そのものが、面白いからだ。
 
 ところで、この展覧会のなかで、「リアリズム」と呼ばれる方が「写実」と呼ばれるより、マシ、というような言葉が出てきたように記憶している。最近流行りの「写実」とひとくくりにして欲しくない、という抵抗の表れであろうか。
 
 「写実」とか「細密」とかいうのは、絵が絵として、とりあえず、頑張ったでしょ、絵になってるでしょ、と誰が見てもわかる、という意味で、便利だ。デッサンがあっていれば、「まあ、写真みたいね」という予想された反応が返ってくる。絵の単価もあげやすい。「クマガイモリカズ」みたいに、引っ掻き傷のような描写で号単価を上げるのは、容易ではない。しかし、二一世紀に画家であろうとすれば、そうした卑近な議論をずっとずっとずっと先に乗り越えた強固な思想を持たなければ、画家たりえない。そうした地平を、たぶんこの作家は見ようとしているように思う。
 
 さらにところで、「どうせなにもみえない」という題名は、作家から対象物を見た視線のことを表現しているのであろうが、実は、鑑賞者、あるいは画廊主から見ても、作家のことは「どうせなにもみえない」。私も若い作家とつきあっているが、本当に彼らのことがわかるかといえば、ほぼ、わかっていない。「どうせだいたい見える」なんて逆に思ったら、深いオトシアナが待っていることは必至である。こんなふうに少し論考を書こうが、他の作家のことをあれこれ思おうが、話そうが、「どうせなにもみえない」。だから、もう、見ないのか、何かを見ようとするのか、というのは自分の人生に関わることで、自分がどうしたいか、という事である。
 
 人が自分をどうみるかも同様、「どうせなにもみえない」。誰も自分の事を理解しない。そんな感傷も40も過ぎると持たないし、あたりまえだと思う、むしろ心の底にある諦念のようなものである。それは皆持って居るであろう。
 
 さらにさらにところで、よく、絵画を表するのに「表面的な美しさだけでなく、内面さえも表現している」なんてな事をテレビやテキストで言っているが、ちゃんちゃらである。内面など、「どうせなにもみえない」。人の顔は、表情しか見えないし、絵は表面しか描けない。諏訪は、よく骸骨を出すことで、おそらくは、みえざる死のイメージ、言及されない真実を示唆しようとしているのだと思う。しかし、内面を描いているかと言えば、そうではないであろう。そんなものは、わからない。
 
 しかし、「どうせなにもみえない」けれど、人は感動することが出来る。映画、詩、小説、そして絵画で、身体を刺し貫くような電撃が、走ることがある。それは人と人が、おなじ誘電物質を持っていること、すなわち、いちいち「何かが見えなくても」、わかりあえてしまう、力を、人が持っていることを示す。つまり、共感能力ってやつね。そうした力を、最大限に誘発するのが、芸術作品なのであろう。ま、共感をあえて否定するとか、ややこしいコンセプトもあるだろうけど。ともかくも、そうした内面なんて、わからんよね、人の考えていること、わからんし、と思いながらも、まあ、だいたい、人間なんて、同じ様なもんだから、わかるところはわかるよね、という楽天性の間をいつも人は揺れていて、そのスキを狙って、最大限にド、キューンと貫くのが力のある芸術というものであろう。
 
 そういうわけで、まだやっているので、諏訪に行ってみて下さいませ。

あ、そうだ、忘れていた。この美術館の細面の女性、親切で、美しかったなあ。ウチの林もこの町出身で、少し彼女に似ているが、この町は、静かだが、優しい人を産む土地柄なのであろうか。私はこの町に住んでいたら、絵画でなく、この受付の女性を見に、通うことであろう。

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アートフェアー東京、土曜日を終えた。
お陰様で若い作家・池永康晟さんと阿部清子さんの作品は本日で完売。
お客さま、スタッフのみんな、そして池永さん、阿部さん、アートフェア東京の運営の方々、有り難うございます。

しかし、震災の影響で四月頭から七月末に3ヶ月以上も延期になり、入場者の低減を予想していたが、豈図らんや、すごい人手である。お昼頃受付を通りかかると、長蛇の列。三十分待ちらしい。

なんてことを書いて入場者が減ると良くないが、オープン時(明日は10:30)と、閉場間際(明日は五時クローズなので、三時過ぎくらい)は、列は減るのではないかと思うので、すいている時間が好みの方は、狙うといいかもしれない。しかし、美術の活気や、各ブースの雰囲気を知るには、やはり人の多い時間が楽しいと思う。

私どものブースにも(C-02)、今日も多くの人が訪れた。
 今まで、池永さんと阿部さんの作品の美しいモデルさんたち、日本画・洋画の優れた若い画家たち、今回出展していないが、実は、意欲の深い画廊主の方々、各美術館の館長さん、医師や会社を経営するコレクターさん、もちろんサラリーマンコレクターの方々、海外のディーラー、コレクター、観光の方、などなど、たくさんの人が来る。
 あちこちで旧交を温めたり、新しい出会いが起きたり、この四日間は、いわば大きな大きなパーティ会場のようなものでもある。パーティと違ってよいところは、中途半端に名刺交換だけやって、はいさよなら、次には全く繋がりません、という空虚な社交ではなく、親しみや共感の輪が広がる可能性を持っていることだろう。
 一番わかりやすいところでは、画家さんと、他のジャンルの専門家や、お客さまが直接交流する機会となり、新しい創造が生まれるキッカケとなっている気がする。
 
 なんてな、ポジティブな事を書けるのも、作品が売れて気持ちよくなっているせいかもしれず、昔のアートフェア東京参加時のボクの記事は、もしかしたらグチがあったような気もするので、まあ調子のよいものであるが、ある程度連続して参加して、様々な交流が出来ると、こうして出展していても、意味が出て来る、という一般法則のようなものもあるかもしれない。
 
 このブログの前の記事で、成山画廊さんでの諏訪敦さんの個展の事を書いていたが、関係者にも読んでいただいていたようで、ちらりと諏訪さんが顔を出してくれた。こんなネットの片隅のブログでも目を通していただいていることに感謝。それと、名指しで記事を書くことの怖さもヒヤリと感じる。ただ、いつもいつも抽象的で安全な文章を書いていても、文章にも生き方にも緊張感がなくなるので、差し支えないと判断した場合は、個人の責任で、よそ様の事は書いていくべきだろう。とはいえ、私も様々なしがらみや、秘密にすべき個人情報のただ中で生きているので、自分の「赤裸々」な日常は、ヒトに迷惑をかけない範囲で書かなければならないことは言うまでもない。
 
 しかしともかく、この入場者数は、ともかく、このイベントが成功裏に進んでいる、と言ってもいいかもしれない。全体の売上げはどうなのかわからないが、日本人がアート・美術にカネを落とすことで、自分の生き方の質が変わる、という認識に変わっていけるかどうかは、ともかくも継続して、生き延びて、継続して、新しいものを見せていく、あるいは古いモノを新しく見せていく、努力の繰り返しの長い旅を続けることしかないだろう。欧米や中国の富裕層が落とすカネの桁は、現代アートの佳作の値段を聞くと、一桁違うことが今回改めて認識したが(よその画廊の値段なので、とりあえず此処には書かずにおく)、そこも十分意識しつつ、今後の展開も考えていかなければならない。
 
 あー疲れた。肩が凝る。足がイタイ。しかし、毎日美人にたくさん会えるので、なんとか生きていける。クヌギさん、お世辞じゃないよ。今日、阿部清子に変な薬をもらった。「オモシロクナール」@吉本興業。滑らない薬だそうである。ウチの子供に見せてやったら、随分受けて、ねっねっ食べていい?子供は一日一錠、って書いてあるよ、牛乳飲んでいるヒトの近くやお葬式では食べちゃダメなんだって、そりゃそうだよね、案の定受ける。すくなくともこの「薬」、うちの子供には「すべって」ないようである。

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昨日は、少し休日っぽく、部屋の片付けだの細かい買い物だのをすませた。
iPhoneの大容量蓄電池を物色するつもりが、本屋にひっかかり衝動買い。六冊ほど購入。
「日本中枢の崩壊」古賀茂明
「収監」堀江貴文
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」サイバーエージェント藤田、幻冬舎見城
「成り上がりの処世術」新堂冬樹
「普通のダンナがなぜ見つからない」西口敦

 古賀さんはTVタックルでも一種の生真面目な道化のように振る舞って印象深いが、たしか先週あたり経産省からクビを勧告された筈である。この国では、生真面目にふるまうと出る杭は打たれるらしい。恐ろしい世の中である。
 ホリエモンの本は、つい衝動買い。いつも彼の本はつい、買ってしまう。かならず、あーそうだよね、確かに、という視点が含まれているので。
 見城さんの本、立ち読みしたら、パーティには出るな、と書いてあって。なるほど。講演会とパーティは出るモノじゃあない、と尊敬する経営者にいわれたことがある。講演会は、出演するもので、聞くモンじゃあない、と公言しているそうである。彼は演者にはなるのであるから、なんともパンチのある発言(矛盾しつつ、真実をいいあてている)。パーティ、たしかに難しいなあ。立食は苦手であるし、たしかに名刺交換したことが次には繋がりにくい。美術館のオープニングレセプション、なんかが業界では多いけれど。顔つなぎのキッカケとして、全く無意味とは思わないが、出ないですむひとは出ないで良いかも知れない。でも、少人数のホームパーティは楽しい。これはいわゆる日本社会のパーティとは空気が違う。題名の「憂鬱」も共感。経営者は常に憂鬱である。しばしば、逃避したくなるが、本当に憂鬱で、たまに死にたくなる人がいるのもわからなくはない。が、自分は躁鬱の気質はないので、死ぬ憂慮はしていない。それよりも、「憂鬱」になるということは、悪い事が起こりうることを認識し、手を打っていくための準備の心なので、あまり気分のいい物ではないが、必要な「能力」ともいえる、ということを、書いているのだろうか、まだ読んでいないのでわからない。
 新堂氏の小説は読んだことがない。実はこの本は「アングラ本特集(ヤクザの処世術など)」の平積みコーナーで発見。なかなか面白い編集方針の五反田の本屋であった。アングラ情報には、人間社会の真実をついたことがあって面白いのだ。ヤクザ屋さんの実態など、本に書いてあることが本当かはわからないが、読めば大抵社会構造が見えて、人間が見えて、勉強になる。他に「もてる技術」「風俗ミリオネア」などこの書棚から購入するが恥ずかしいので片隅に書いておく。
 「普通のダンナ」これは、30代の結婚できない女性が死ぬ気で読むべき本である。彼女たちが求める「普通の男」は実際には0.8%しかいない、という恐ろしい真実が書いてある。私がまさに言いたかった事である。何故か。「普通のルックス」「普通の会話」「普通の清潔感」「普通のファッション」「普通の身長」・・学歴、年収と50%を7回かけると、0.8%になってしまうのである。その普通と、「普通の出会い」つまり、お金をかけず(合コンだの相談所だの)に出会う、ということを想定すると、三十五年ほどかかる、と筆者はいう。
 「ゲゲゲの女房」のごとく、会って三日目で入籍、みたいな世界がいいのかもしれない。
 ちなみに、ウチの夫婦も、お互い、多くを求めておらない。「そこそこカワイゲがあればよい」である。だいたい、35%くらいの異性が相当するであろう。そう考えると、気が楽で、よろしい。死に別れたら、すぐに次のを探すように取り決めてある。死んだあの人が忘れられない、なんて韓国ドラマみたいな感傷は人生の邪魔である。でも、つい比べちゃうんだろうね。山口百恵の歌みたいに。

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 最近、週刊誌はよく読む。販売数目当てのいい加減な記事も多いだろうが、新聞には載らない記者クラブ経由でない情報や、足で歩いた情報、気鋭のコラムニストなどの記事は、ネットでも、読めないものもある。
 週刊文春は、そのテイストや方向感覚が好みである。オジサン雑誌だが、オジサン体験をしてみようと、20代から読んでいた。いくぶん保守よりの感覚がほどよい。大好きな阿川佐和子の連載と、不肖宮嶋重樹カメラマンのコラムが爽やかである。
 しかし、ホリエモンには常に冷ややかである。先日の収監のスナップも、モノポリーゲームの「刑務所行き」のコマをもじって、今まで経済犯罪で摘発されたにもかかわらず「収監」されていない連中を描いたTシャツとモヒカン狩りの出で立ちを『幼稚』と切り捨てていた。しかし、あきらかに規模の小さい、資本勘定を損益勘定に変えたということを「収監」まで追い詰めた日本社会が犯したこの若者への「差別」を、ユーモアを交えてパンク調?に「告発」した彼のセンスを、幼稚と切り捨てるのは、文春という「オジサン」社会の、まさに幼稚さ、あるいは限界を告白しているといえるだろう。
 同じ号には孫正義の自然エネルギーへの傾倒について、「儲け第一主義がホンネ」だと、週刊新潮と何故か全く時を同じくして批判をしていた。しかし、記事をよく読むと、経済合理性もきちんと配慮している、経営者として当然の思考方法について、描写しているだけで、およそ皮肉にさえなっていない内容であった。何故「批判」というスタイルを採るのか、意味がわからなかった。同じ内容で、「褒める」見出しもつけられる記事であった。
 
 この国では、いやたぶん人間社会は、目立つと、いわれなき批判がおこるものなのだろう。理不尽であっても、あるていど、仕方がない。しかし、いつも好きで読んでいる雑誌などに批判されると、複雑な心境にもなるだろう。ウチの業界は週刊誌的に話題になりにくい。叩くほどの目立ち方を良くも悪くもしていない、といえるのかもしれない。だから、別段、少々目立とうが、あまり関係ないが。

 この文春の態度は、ネット上の「世論」の空気とも大分違う。ネットの方が、平均年齢がやや若い事も影響しているだろう。

 ホリエモンの「収監」は、まだ読んでいないが、パラパラ見た中では、「ネット選挙の推進」などが見られた。当然の主張で、いまだにネットで意見を出すのが御法度、などという恐ろしくアナクロな選挙制度がとられているのが、この日本の後進ぶりの実態で、困ったモノである。

 一連の国会でのどうしようもない政治の漂流振りも、一義的には「老化」のヒトコトであろう。政権交代に時間がかかりすぎて、トロイカの三人が、揃って頑固で実務が無理なことが露呈してしまった。四十代以上は選挙に出られない、というクライのアクションが必要ではないかな。ゴルフの練習でも、右ばかり球が行くときは、無理にでもヒダリにしか出ない練習をする。極端な施策が必要である。ボクがいつも極論を言うのは(しばしば友だちに誤解される)、そういう意図である。
 

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