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オーブリー・ビアズリー

Aubrey Beardsley
海外作家 1872 - 1898

イギリスの南部のブライトンで生まれの挿絵画家、詩人、小説家。父親は金銀細工師の息子で、母親はチャタム伯家に繋がる、軍医の娘でブライトンの名士。母エレンは音楽教師として働き、オーブリーに文学や音楽の本格的な教育を施した。因みに彼は学校に上がる前からショパンを弾きこなし、音楽にも天賦の才があった。1878年、寄宿学校ハミルトン・ロッジに入学。1879年、初めて結核の兆候が現れる。1881年には病気のためにハミルトン・ロッジを退学する。1884年、ブライトン・グラマー・スクールに入学。1889年にロンドンの保険会社に就職した。16歳で保険会社に勤めるが、19歳のとき、印象派の画家ホイッスラーの作品に強く影響を受ける。1891年、ウエストミンスター美術学校の夜間部に通い始め校長フレデリック・ブラウンに師事。1893年、21歳の時に約1年半を費やしてマロリー作『アーサー王の死』(Le Morte Darthur)の挿絵を描く。この仕事が始まると同時にウェストミンスター美術学校を退学。1894年、オスカー・ワイルドの英訳『サロメ』に挿絵を描いた。同年の22歳の時に挿絵入り文芸誌『イエロー・ブック』(Yellow Book)が創刊され、ビアズリーは美術編集を務める。1895年、パリに短期滞在し、1897年末、南仏のマントンに転地。1898年1月に結核の進行により右手が動かなくなり、1月末以降は寝たきりとなる。詩「象牙の一片」を書く。1897年他界。享年、25歳。ビアズリーは耽美主義・唯美主義・デカダンの旗手として時代の寵児となり、“世紀末のカリスマ”“幻のイラストレーター”“鬼才”と称される。彼の作品にはラファエロ前派、古代ギリシャ美術、日本の浮世絵などの影響が見られる。また日本でも、手塚治虫から資生堂デザインにまで影響を与えた。

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